自分を律しなければという思い。回答受付中
いつもお世話になっております。
日々お坊さん方のご回答を胸に刻みながら、生活しています。
最近気分がずっと沈んでいる状態です。
自分を律しなければという思いが強く、その枠から外れてしまっていた過去の自分や、自分の言動により傷ついている人がいるのではないかという不安から、「私は生きているべきではない。存在してはいけない人間だ。」と思っています。
周りの人からは「そうゆう人」という印象を持たれています。実際数人から言われました。この言葉はマイナスな意味の言葉として受け取っています。
ですが、心の中で「私はそんな人じゃない。言いたいことが言えず態度に出てしまうだけ。本当はすごく気を使っているのに。人との関わり方がまだわからないだけ。愛嬌がないだけ。」
と言い訳をしてしまいます。
今はこれ以上自分の悪い所を見られたくない、嫌な印象を持たれたくない。誰も傷つけたくない。と思い、人と関わらず、話さず、SNSなどもやめました。
家に閉じこもり、仕事と家事をして、少しでも父に良い思いをさせようと生活しています。
定期的に言われたことや今までの自分の悪い行い思い出し、反省と後悔から死んでしまいたいと思っています。
実際3月頃、夜大きな橋まで自転車を漕ぎ、目の前が真っ暗で道に迷い、恐怖から涙が溢れて、父にすごく心配と迷惑をかけました。
今でも感情の乱れや、誠実ではない行ないをしてしまうと、自分に罰を与えるように「私は生きていてはいけない。」と唱えています。
前に進もうとすると、過去の自分や過去の私を知っている人が思い浮かび、引き止められている感覚になります。
すごく孤独を感じ、疎外感や自責の念で苦しいです。
お坊さんやカウンセラーさん、かかりつけの医師からも何度も励まされているのに申し訳ないです。
またこの場をお借りしてしまい申し訳ございません。アドバイスをいただけると幸いです。
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分でしっかり手を伸ばし、ハスノハや医療にも繋がってきたよ。
生きているだけで、あなたは頑張っているよ。こうして繋がっていることが嬉しいわ(*´꒳`*)
追い込まれるような気持ちになる時は、症状がイタズラをしているのよ。本当は、笑っていたいし、誰かとお喋りしたり、お出かけもしたいですよね。
今は、仕事と家事に専念中なのね。お父さんのためにね。
お父さんが帰ってこられた時、あなたが家でお帰り〜って待っていてくれること、嬉しいだろうね。娘が居てくれるって幸せだもの。
過去の自分が、許せなかったりするのかな。人を傷つけたって、大反省中なのよね。
でもさ、みんな いろんな経験をして強くもなるし、支えられるものを見つけていくものだよ。ちゃんと乗り越える力を秘めているのです。だから大丈夫。
あなただって、自分でしっかり手を伸ばし、ハスノハや医療にも繋がってきたものね。あなたも強くなってきたし、少しずつ孤独を抜け出してきたんだよ。
病がイタズラをして、疎外感や孤独だと思ったら、ハスノハにおいで。絶対に誰かが、あなたへ声をかけるからね。ハスノハの質問には必ず回答がつきます。10年も毎日、ハスノハと関わってきたのよ、私は。毎日毎日、質問と回答のやり取りが生まれる場所、それを毎日見てきました。誰かを感じて、言葉をかける。繋いだ手が見えるように。ハスノハはそんな場所です。
申し訳ないと思わなくていいのよ。またいつでも、来てちょうだいね。あなたと話がしたいわ。
『生きていてはいけない』と思う心との向き合い方
文面から伝わってくるのは、真面目で優しいがゆえに、過去の言動や他人の印象を背負い込み、「存在してはいけない」とまで自分を責めてしまっている苦しさです。
仏教では、人は皆「煩悩具足(ぼんのうぐそく)」
欲や怒り、迷いを抱えて生きる存在であると説かれます。完璧でないからこそ人であり、過ちがあるからこそ気づきと学びがあります。ですから「生きていてはいけない人」など、誰一人としていないのです。
1. 「そういう人」という言葉に縛られない
他者から投げかけられた言葉は、必ずしも真実ではありません。それはその人の心の色眼鏡を通した見え方にすぎません。仏教でいう「諸行無常」の通り、人の評価や印象も常に変わっていきます。過去に言われたことがあなたの存在を決めるものではありません。
2. 自分に罰を与える代わりに「慈悲」を向ける
「私は生きてはいけない」と唱えるのは、自己処罰の形です。しかし仏教では、自分に慈悲を向けることも修行のひとつです。「私は不完全だからこそ、学び続ける存在だ」と唱える言葉に置き換えてみてください。南無阿弥陀仏のお念仏も、「そのままで受け入れられている」という安心を思い出させてくれます。
3. 人との関わりを極端に閉ざさない
人を傷つけてしまうのが怖いと感じる気持ちは理解できます。ただ完全に閉じこもると、孤独と自責の念が強くなってしまいます。すべての人と無理に関わらずとも、信頼できる少数の人(ご家族や医師、カウンセラー)とのつながりを保つことは、自分を支える大きな助けになります。
4. 過去に引き止められるとき
「過去の自分が引き止めている感覚」は、仏教でいう「業(ごう)」の働きに似ています。しかし業は未来を決めつけるものではありません。今この瞬間にどう行動するかで、未来は常に新しく開かれます。呼吸に意識を向け、「いま生きている」という事実をひとつずつ確かめてみましょう。
あなたは「生きていてはいけない人」ではなく、「苦しみを抱えながらも、それでも誠実に生きようとしている人」です。どうか、自分を罰する言葉ではなく、慈しむ言葉を心に響かせてください。
合掌
あなたの心を少しずつゆるめて下さい
拝読させて頂きました。
あなたが今もとても辛い思いを抱えて苦しんでいることを読ませて頂きました。あなたは過去のことを思い出し後悔し自分を律しなければならないと思っておられるのですね。
詳細なあなたのことや今までのことや周りの人達のことはわからないですけれども、あなたがとても苦しんでおられることは伝わってきます。あなたのそのお気持ちを心よりお察しします。
今までのご質問も含めてあなたがとても自分のことを責めてしまい、自分は生きてはいけないと思ってしまいとても追い込まれておられるのかと思います。
思い出すとどうしても自分がいけないと思って責めてしまうのかもしれませんが、ひとまずゆっくりと一息ついて下さいね。
あなたを追い詰めることはちょっとやめてゆっくりと一息ついてあなたの心をゆるめて少しずつ心を楽にしていきましょう。
あなたは生きる権利があり、あなたはとても大切な人です。
あなたが生きることを沢山の方々がいつもお見守りなさっていらっしゃるのです。
どうか心を楽になさりあなたをいたわり少しずつでもあなたを許してあげて下さい。
仏様や神様やご先祖様はあなたをいつもお見守りなさりあなたをお許しになって、あなたが生きることをいつも優しく見守り続けていて下さいます。どうか安心なさって下さい。
またあなたの辛いことや苦しいことをここでも思いつくままに一つ一つお話しなさって下さい。
あなたはいつも仏様や神様やご先祖様や沢山の方々や私達とつながっているのです、ご縁を結んでいるのです。
あなたのお気持ちを私達と分かち合いましょう。
あなたがその思いを分かち合いあなたの心が少しずつ楽になり、沢山の方々とのご縁の中で心穏やかに健やかに生きることできますように切に仏様や神様やご先祖様にお祈りさせて頂きます。
そしてあなたを心より応援させて頂きます。至心合掌