熱意や情熱だけじゃ生きていけないのかな。
変わらず、懲りずに、諦めずに
育成に関わり続けています。
もう自分のエゴで続けてるのかな。
自分の努力の方向性が間違ってるのかな。
他人にはわからない自分の守る大切なものがあるから、報われない努力を続けてるのかな。
人の成長に関わる事が自分の役割りだって勝手に思いこんでるのかな。
周からも人に時間を費やすのは無駄じゃないって言われたけど、そんな人達だって、誰かに育てられ、誰一人、一人で育った人はいないのに。
自立や独立、成功するとそれを忘れてしまうのかな。
自分の役割にこびりついて、誰かにバトンタッチした方がいいのかな。
少しでもいいから、自分が何か、誰かに必要とされてると実感が出来たなら、もう少し頑張れるのかな。
もう独りよがりなのかな。
誰かに上手く使われてるだけなのかな。
自分は才能のある人間だとはこれっぽっちも思ってもいない。そんな自分だから結果も必然なのかな。
挑戦しかしてないです。
だけと報われない。
情だけで世の中は生きていけない。
人生もそろそろ折り返し。
もう縋りつくのをやめて諦めようと
思うけど、怖くて怖くてそれが出来ない。
アクセルとブレーキを同時に踏みながら、しぶとく生きているだけ。
相談出来る人がいなくて、つらくなるといつもここにきてしまう。
視野を変えれば生き甲斐はたくさんあるし
目の前に幸せもたくさんある。
ずっと変わらない自分。
それが全ての原因なのかな。
秋だからなのかな。
この場がある事に感謝します。
ほんとうにありがとうございます。
お坊さんからの回答 4件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたは素晴らしい
変わらず、懲りずに、諦めずに、人の育成に関わり続けるあなたは素晴らしい。
自分の守る大切なものがあるあなたは素晴らしい。
人の成長に関わる事が自分の役割りであると認識しているあなたは素晴らしい。
挑戦しかしていないあなたは素晴らしい。
アクセルとブレーキを同時に踏みながら、しぶとく生きているあなたは素晴らしい。
ずっと変わらないあなたは素晴らしい。
自分を卑下する必要など、まったくありません。
成果はすぐに出ないかもしれない。
巣立った人たちからは表立って感謝されないかもしれない。
それでも、熱意と情熱を持って生き続けるあなたは誰よりも素晴らしい。
そんなあなたに釈尊の言葉を贈ります。
「独り歩み、怠ることのない聖者は、非難と賞賛とに心を動かさず、音声に驚かない獅子のように、網にとらえられない風のように、水に汚されない蓮のように、他人に導かれることなく、他人を導く人、──諸々の賢者は、かれを(聖者)であると知る。」
それも縁の中にあってこそ
こんばんは。ご相談拝読しました。
ここまで「変わらず、懲りずに、諦めずに」人の成長に関わり続けてこられた。その姿には、孤独の中にあってもなお誠実さを失わない強さを感じます。
まず、結果というものについて。「情熱があれば報われる」というのは美しい言葉ですが、実際には結果は因縁によるもので、あなたという「因」だけで決まるものではありません。環境や周囲の縁が整ってこそ花は咲きます。ですから、これまでの努力が無駄だったわけではないのです。お金のためだけではなく、誠意をもって人に関わってきたこと自体が、すでに尊い因なのです。
ただ、「情熱があれば!」と信じる気持ちにも段階があります。若い頃はただ情熱を注ぐこと自体に意味がありますが、人生の折り返しに差しかかった今は、「今の自分に相応しい環境はどこか」を考える時期に来ているのではないでしょうか。アクセルとブレーキを同時に踏むような感覚は、その転換期のしるしとも読めます。
では「手放す」ことはどうでしょうか。手放すとは、因を作ることをやめることではありません。むしろ「同じ因に執着し続けない」ことです。環境や縁を変えて、新しい因を作り続ける。諦めることと工夫することは違うのです。今までの経験と学びは、あなたのものです。
具体的に言えば、「場を変える」のも一手です。必ずしも転職だけを意味しません。地域の活動や学びの場など、会社の外で人の成長に関わる場に一歩踏み出してみることも含まれます。新しい縁が加われば、あなたの因は違う花を咲かせます。結果を急ぐより、縁を広げることに重きを置いてみてください。
あなたが「才能がない」と言い切るその言葉も、実は誠実さの裏返しでしょう。才能の有無よりも、しぶとく生きている今の姿こそ、他者にとって支えとなるはずです。この場にこうして書き残せること自体、あなたが人に関わる力の証です。
秋は感傷を呼びやすい季節です。どうか軽やかに「秋のせい、かもな」と笑い流しながら、また次の因をつくり続けてください。
善い種まき
まずは、こんなに何度もここに戻ってきて言葉を紡げるあなたを、静かに尊びます。育てることに心を尽くしてきた疲れと迷い、よく伝わってきます。
仏教的に言えば、あなたの「育てる」という行為自体は善い種まきです。しかし「実るかどうか」は縁(えん)による。他者の成長は他力と時の作用が必要で、すべてを結果に結びつけて自分を測ると心が摩耗します。だから「報われない=無意味」ではありません。報いは必ずしも見える形で返らないだけです。
実務的な着地案をいくつか出します。疲れを減らしつつ、あなたの向き合い方を調えるために役立ちます。
目的を明文化する
「この人を育てることで何を達成したいのか」を短く書く。結果(昇進・独立)ではなく、あなたが提供する具体的行動(習慣化・基礎力)に落とす。
時間と期待を区切る(タイムボックス)
「この半年は私が主に支援する。6か月後に進捗を一緒に評価する」と区切ると、無限の献身を防げます。
委譲と責任分離をつくる
育てる側の役割(教える・導く)と育つ側の責任(実践・報告)を明確に。小さなタスクから委譲して、相手に“持たせる”経験を増やす。
小さな“報われ感”を集める
大きな成功ばかり見ず、習慣が一つ定着した、ミスが一つ減った、という小さな変化を記録して自分を励ます。
第三者の視点を得る
師や同僚、スーパービジョンを受けると「やり方が的確か」「役割が偏っていないか」が見えてきます。
手放す儀式を考える
バトンタッチする時に短い儀式(言葉で宣言する・小さな書面を交わす)をすれば、心理的な区切りがつきやすくなります。
自分を養うことを忘れない
休息、仲間との会話、体を動かすこと。慈悲の瞑想(自分にも「安らかであれ」と向ける)を日課に。
最後に
あなたの努力は無駄ではありません。仏の眼で見れば、善き行いはそのまま「業(ごう)」となり、やがて巡ってくることもあります。けれども、仏教は「執着の解き放ち」も説きます。結果に固執する心を少し離して、行為そのものの質と「今の自分の健やかさ」を大切にしてください。
合掌
脚下照顧
拝読させて頂きました。
あなたが様々なことを迷い悩みどうすればいいのかととても錯綜なさっておられることを読ませて頂きました。詳細なあなたのことはわからないですけれども、あなたがとても悩んでおられることは伝わってきます。あなたのお気持ち心よりお察しします。
具体的な状況はわからないですけれども、あなたがおっしゃっておられることはとてもよいことだと思います、正しいことだと感じます。
ひとまずゆっくりと一息ついてみませんか、ゆっくりと息を吸い込んでみて、それからゆっくりゆっくり吐き出していきましょう。あなたは今も正しく生きていらっしゃるのです。
ゆっくり穏やかになさってみて心身共にいたわりゆっくり一息つきながら立ち止まってみて下さいね。
少しゆっくり休んでみてもいいかと思います。
それから自らの足元を見つめてみましょう、そしてあなたの目の前や身の回りのことを見つめてみましょう、そしてあなたの周りの方々のことをゆっくり見つめていきましょう。
あわてることなくゆっくりと周りを見回していきましょう。
判断なさる前に自分や周りの人達のことや状態や状況や気持ちや思いを見つめ鑑みていきましょう。
そして何が望ましいのか、どうなさっていくことがあなたにも周りの人達にも善いことかをじっくりとお考えなさり、周りの人達からもご意見を伺っていきましょう。
あなたや皆さんが善き方へと導かれ、心から健やかに豊かな人生を生き抜いていくことできますように、様々な巡り合わせの中で様々なご縁に恵まれながら充実した人生をそれぞれにしっかりと歩んでいくことできますように切に祈っております。
そしてあなたを心より応援させて頂きます。至心合掌
質問者からのお礼
佐藤様、井上様、お二人のご回答に
胸の内側から込み上げてくるものが
ありました。
その感情をありのままに受け入れる勇気がなく、まだまだ我慢してしまう自分がいました。
胸の内側の涙の泉のようなものはまだ
なんとか枯れていないのだと、それが
枯渇しないよう、自分と向き合い生きていこうと思います。
佐藤様、井上様、感謝申し上げます。
ほんとうにありがとうございます。
鈴木様、具体的な着地案をご教授いただいた事を、気持ちが落ちついたときに冷静に分析をしてみようと思います。
感謝いたします。
ありがとうございます。
Kousyo Kuuyo Azuma様
自分の足元を見た時に常に何かに
向かい足を動かしていたように思います。
様々な葛藤から、気持ちが立ち止まる余裕がなかったのだと思います。
自分が動いて、引っ張ったり、押したり
、支えたり、とにかくそのように立ち回らないと船が転覆してしまうような焦りを感じていました。
だけど、そんな気持ちは周りには見えない、体は一つ、出来る事などたかがしれない。
上司や部下関係やく、自分が気持ちを込めて発した言葉があって、
自分の役割や責任を全うしようと。
それは自分への言葉でもありました。
それが自分の現在点です。
脚下照顧
あらためて、冷静に考えてみたいと思ってます。
感謝申し上げます。
ご回答ありがとうございました。



職業柄、人生相談はこれまで多数受けてきました。
ぜひご自身の本音を出してください。向き合ってください。
私は伴走させていただきます。
理学療法士でありますので、これまで急性期から終末期まで患者さんを担当。
町の診療所から在宅までキャリアを築く。
2歳から108歳まで患者さん担当。
カウンセラー、コーチ、コンサルタントでもありますので
メンタルヘルスから新規事業、マネジメントまで相談対応可能。
ビジョンワークはライフワーク。