大切な人を傷つけた償い
現在19歳の専門学生で、22歳の社会人の姉がいる女子です。
私はいわゆる愛玩子で、姉が搾取子でした。
私は軽い発達障害を持っており、鈍臭く怠け癖のある性格で、大人にはあまり反抗しない従順な性格でした。一方で姉は努力家で要領も良く真面目で、それでいて親や先生相手でも納得できない時は徹底的に反抗する、自立心が強い性格でした。
母は私には甘く過保護気味で、姉には厳しく放任気味という具合でした。人が普通にできる事が私には普通にできないせいか、私のどんな小さな成長も母には大きく感じられたようで、テストの点が少し上がっただけで大げさなほど褒められました。一方で姉はどれだけ努力して学年1位になっても、軽くあしらわれていました。
この母の態度の差はかなり昔からあり、自分ばかりが贔屓されている事に子供ながらに気づいていました。それなのに、私は姉に寄り添う事も母に反抗する事もできませんでした。
SNSで偶然姉のアカウントを見つけたのですが、そこには自分ばかり厳しくされて嫌だった事や、そのせいで自己肯定感が今でも低い事など姉の赤裸々な思いが綴られていて、申し訳なさで胸が張り裂けそうでした。
そして歳を重ねるにつれ、母が最初から本当の私など見ていなかった事に気づいてしまいました。母が愛していたのは「いい子の私」だったのです。
母の価値観から外れたことをしようとしたら「みっともない」「恥ずかしい」と、気にするのは世間体や自分の立場ばかり。
私がバイで、男性も女性も恋愛対象である事をカミングアウトしたら「一時の気の迷いだ」と決めつけられ。
おかしいと思った事に意見すれば、一方的に罵詈雑言を浴びせられ。
今の姉との関係は良好で、私がバイである事も知っていて、母に言えない事も話せるような仲ですが、その優しさが辛いです。
私が障害を持って生まれたせいで、姉やたくさんの人を傷つけました。私が生まれなければ誰も不幸にならずに済みました。
だから私は、できるだけ人を(姉も含めて)傷つけないように、優しく誠実であろうと努めています。幸せになるのが怖くて、自分から不幸を被りに行ってしまいます。それが私なりの「生まれた」という罪の償い方なんだと思います。
幸せになる権利も愛される価値も生まれた意味も、姉を傷つけた私には何一つありません。でも、この償いは一体いつまで続けたらいいのですか?
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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お母さんの「子・姉妹」としてよりも、「私」として生きたらいい
あなたの何が罪だと言うの? 周りを見ながら、感じとりながら、それに応えなきゃって、生きてきたのでしょ。子どもなら、それが精一杯の生き方だったのではないですか。お姉さんだって、精一杯に生きてきたのよ。誰が悪いとか、誰の存在が罪だとか、責めることではないのよ。
子どもは、親がいないと生きていけない。だから、親に合わせたり、親の言う通りが望ましいんじゃないかって、親の言いつけを守ったり従うことに流されていく。そうじゃないと生きていけないって、感じ取るものね。
あなたも、そうだったのでしょ。お母さんの言う通りに生きる、それしか道はなかったのだろうと思うわ。お母さんもまた、手探りで「親」になっていかれたわけだから、子どもたちへの接し方に違いが出ていることにも気づかないまま、自分の「母親像」に納得してしまっていたのでしょう。
だから、お姉さんは苦しかった。私のことも見てほしかった。愛してほしかった。姉妹それぞれにとって「お母さん」はたった1人だものね。本当は、私のお母さんでいてほしかったよね。差をつけられることより、私をちゃんと受け入れてほしかった。求める人に愛される。それが、誰もが望む「幸せ」なんじゃないかしら。
あなたの存在の否定や、傷つけたと罪に思うよりも、あなたも、お姉さんも、お母さんの「子・姉妹」としての生き方から、「私」として生きたらいいのよ。
幸せになっていいのよ。みんな誰もが、幸せになるために生まれてきたのだから。幸せになるために、良き出会いに巡り合ってほしいわ。幸せになるために、「私の姉」として、付き合っていけばいいのよ。お母さんにとっての、上の子、下の子じゃなく、あなたのお姉さんと仲良くしていきましょうよ。
頼って、甘えて、愛そう。私のお姉さん。それが、お姉さんにとっても、嬉しいことなんじゃないかしら。2人とも、今までよく頑張ってきたわね。どんな あなたでも、幸せになれる、笑顔の姉妹でいてほしいわ。
じっくりとお話し合いなさってみましょう
拝読させて頂きました。
あなたとお姉さんのことやお母様との今までの関係を通してあなたの思いを読ませて頂きました。あなたがそう痛感なさっていることはとても大切なことだと思います。
あなたのそのお気持ちを心よりお察しします。
あなたが今までのことからお姉様に申し訳ないと思っておられるのであれば、心を落ち着けてあなたのその思いを一言ひとことお姉様にしっかりとお伝えなさってみてはいかかでしょう。
そしてお姉様もご自分の思いをあなたにお話しなさって頂き、それぞれの思いを分かち合いながら理解を深め合っていきましょう。
落ち着いて聞いていく中で新たな気づきもあるでしょうし、お互いのことを一層わかり合えるでしょうからこれからそれぞれにどう生きていくことが望ましいのかも見えてくるのではないでしょうか。
あわてることなくそれぞれにご自分の人生を見つめていくことがとても大切です。
そしてこれからもお互いのことを大切におもやり尊重して生きていきましょう。
お母様との関係も自ずと変わっていくのではないかと思います。というか必ず変わっていくでしょうからね。いずれ落ち着いてお母様ともしっかりとお向き合いなさって思いをあ話し合うことも必要になってくるでしょうからね。
あなたやお姉様やお母様や皆さんがお互いのことをしっかりとお向き合いながらお話しし合い、思いを分かち合いお互いのことを心から尊重し合い思いやり、皆さんがそれぞれに与えられた人生を命を健やかに生き抜いていかれます様に切に祈っております。
そしてあなたや皆さんを心より応援させて頂きます。至心合掌
償い続ける心に、区切りをつける時
あなたの言葉から、幼い頃から抱えてきた「愛され方の不均衡」と「罪悪感」が、今も強く心を縛っていることが伝わってきます。お姉さんが厳しくされる姿を見ながらも寄り添えなかった自分を責め、「自分が生まれたせいで人を不幸にした」と思い込んでしまう。その痛みは、子どもとして当然背負うべきではなかった重さです。
けれども一つ覚えていてほしいのは、「生まれたこと」は決して罪ではないということです。あなたが障害を持って生まれたのも、母が贔屓したのも、誰の責任でもありません。それはただの「事実」であって、「罪」ではないのです。
姉との関係について
お姉さんは今、あなたに優しく接している。これは「我慢している」からではなく、「理解しようとしている」からかもしれません。むしろ、あなたが「申し訳ない」と思うその気持ちこそが、お姉さんにとっては救いになっている可能性もあります。あなたが誠実に生きようとしていること自体が、すでに償いの形になっています。
幸せを拒む心について
「幸せになってはいけない」と自らに枷をかけてしまうと、償いは一生終わりません。仏教には「自分をも慈しむことが、他者を慈しむことにつながる」という教えがあります。自分を苦しめ続ける生き方では、結局周りも安心できません。あなたが幸せを感じられるようになることは、お姉さんや大切な人への最大の供養・償いになるのです。
償いはいつまで?
その答えは、「もう十分」とあなた自身が決めたときです。過去をなかったことにはできませんが、償いを「生涯の罰」にせず、「これからの生き方の指針」に変えていくことができます。たとえば「誰かを傷つけないように気を配る」「人を大切にする」
あなたはすでにその道を歩んでいます。そこから先は、罪ではなく「あなたの優しさ」として生きていいのです。
結びに
生まれたことに意味を探す必要はありません。意味は「これからどう生きるか」によって形づくられていきます。償い続けるのではなく、優しさを生きる。その先に、あなたが自分を許せる日がきっと訪れます。
合掌