どう生きていけばいいのか回答受付中
私は現在、20代後半の会社員です。相談内容は生まれが普通の家庭で無かった為どう人と関わっていけば良いのか、自分が何がしたいのか分かりません。
父が他界、母には虐待され幼稚園前に祖父母や叔母の家を転々として18まで暮らしました。
引き取られた親戚の家はゴミ屋敷のようなアパートで、パチンコ依存の親戚が生活費を使い果たしてしまう為小さい頃からコンビニのおにぎりや菓子パンなどを与えられ
、叔父には性的な嫌がらせや暴力・暴言を吐かれる日々でした。
夜は毎日布団にくるまって亡くなったお父さんの事を思い出して泣きながら過ごしました。泣いているのがバレると怒られるので声を出さないように泣きました。
次第に感情が無くなり、人と関わるのも避けるようになりました。普通の家庭で育った子達とは無理をしてもどうしても話題を合わせ続けることが出来ませんでした。常に栄養失調の為勉強にも身が入らず寝てばかりで過ごしました。
高校を出て自分が社会人としてやっていける気がせず、フリーターになりました。パートで勤めていたお店が忙しく、必死で頑張っていたら段々と楽しくなり副店長になりました。その頃1人暮らしを始めました。生活費を稼ぐ為に2度転職し、現在は正社員で職場のリーダーになってしまいました。
今までお金の為だけに高校をでてから10年ほど必死で仕事だけは頑張ってきましたが友人も恋人もいません。
職場ではふつうの優しい人に見えるようにずっと演技しています。
本当は子どもの頃に両親にハグされたり優しくされる事だけが私の望みだったのに自分が大人になって責任ある立場になってしまった事に気持ちが追いつきません。
父親のように優しい人を見つけて結婚すればいいのかもしれませんがそれで自分が幸せなのかも誰を好きになればいいのかも分かりません。恋人がいない自分を惨めだとは思いますが仕事が忙しく、体力的にもボロボロなので余裕もありません。
高卒で学も無い分、もっと色んな知識や経験を積んだり尊敬できる人を見つけたい。自分の能力を伸ばしてと漠然と思います。
人生で幸せだと思えたときが少ししかありません。どうすれば生きる目的をみつけられるでしょうか。長々と過ぎた話をしてすみません。よろしくお願いします。
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
職場のリーダーなんてすごいですね。それだけで立派に生きていると思いますよ。
生きる目的も目的を見つける方法も人それぞれですし、目的が無くても生きていけますから目的が必要かどうかもひとそれぞれ。なのでこれといった答えは無いと思いますが、例えば、恋愛に関してはあなたのことを大切にしてくれる人を好きになるのがいいでしょうし(不倫はダメ)、仕事を80%くらいに抑えて他に趣味や資格習得や旅行やこれまで未挑戦だったことに時間を使うのがいいと思いますよ。知識や視野や人脈も広がり何か目標がみつかるかもしれませんし、仕事や人との雑談や私生活でも役に立ちますからね。
お釈迦様はお互いに尊敬できる友人ができればそれだけで悟りに至ることに等しいなんてことも言っていました。あなた自身が尊敬される人になれたらいいですね。(すでに周りから尊敬されていると思いますけど)
お父様に向けて
大変な思いをなされてきたのに、よくご立派に生き抜いて働いて来られましたね。
私には娘がおります。
もしも私があなたのお父さんだったら、とても誇らしいと思いますよ。
同時に、私ももしも早死にして、娘が辛い子供時代を過ごすことになったらと想像したら、痛ましく感じました。
ですが、あなたは今、自分で衣食住を稼げる大人になって昔よりは自由も手に入れておられるでしょう。
これからの人生は明るいと思います。
できれば、何か善い行い(他人への親切等)をされたときは、その功徳(善行為の効能)によって、お父様も喜ばれ幸せになれるように願いを込めてみてください。
つまり、あなたの幸せや善行為が、お父さんへの供養(おもてなし)となるのです。
自分独りのための生活だと、飽きてくることがあります。
他人(生者でも死者でも)のためにとイメージすると、世界が広がって面白くなる可能性があると私は思います。
もちろん、新しい家族ができればそれも一つの刺激になりますね。
過去を背負いながらも、生きる目的を育てる
幼い頃から優しさに恵まれず、虐待や暴力、そして孤独の中で過ごしてこられたこと。その深い痛みを抱えながらも、必死に働き、自立し、今は職場でリーダーという役割を担っている。その歩みは、あなたがどれだけ強い方であるかを示しています。
ただ、人との関わり方や自分の幸せの形が分からないという戸惑いもまた自然なことです。仏教では「縁起」と説かれるように、私たちの在り方は環境や人との関わりに大きく左右されます。つまり、今あなたが苦しむのは「あなたが劣っているから」ではなく、「そのような環境に置かれたから」なのです。
幸せは、誰かに与えられるものではなく、自分の内に育てていくものだと仏教は説きます。結婚や愛情も確かに温かいものですが、それがなければ不幸というわけではありません。今のあなたに必要なのは「誰かに愛されるから幸せ」ではなく、「自分を認め、労わる」ことを少しずつ積み重ねることです。
生きる目的は一度で見つかるものではありません。
興味ある分野の本を読む。
新しい体験に触れてみる。
信頼できる人との出会いを大切にする。
こうした小さな積み重ねの中で「自分だからできること」が形になっていきます。
過去の苦しみは、決して無駄ではありません。それは人の痛みに寄り添う力に変わるのです。どうか「もっと頑張らなければ」と自分を責めるより、「よくここまで生き抜いてきた」と自分を認めてあげてください。
あなたの人生は、苦しみだけのためにあるのではありません。むしろ、その歩みが誰かを救う光になる日がきっと訪れます。焦らず、少しずつ、自分の歩みを大切にしてください。
合掌