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西遊記に出てくる羯諦という仏様

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以前、西遊記を読んだ時、「羯諦さん達が守ってくれる」という表現があったという思うのですが、羯諦という仏様はいらっしゃるのでしょうか?
色々調べても分からないので質問しました。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

こんにちは。回答がつきませんね。「羯諦」という仏様というのは、私は聞いたことがありません。

 「羯諦」という言葉でまず思い浮かぶのは、「摩訶般若波羅蜜多心経」の最後の方に出てくる真言「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶」の一部ですね。
 
 「摩訶般若波羅蜜多心経」は、西遊記にも出てくる、三蔵法師(玄奘)が訳したお経で、大乗仏教の神髄が説かれているとされています。そして、その中でもこの真言部分は特に大切な部分と言われています。

 ですので、ピンチの時には、仏教の力が助けてくれる、というような意味合いで「羯諦さん」という登場人物(神様?)が生まれたのだと思います。

 よくわからずごめんなさいね。

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・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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憶測の域を出ませんが…

 祥鳳さん こんにちは

シマダイッセイと申します。西遊記のご質問に回答します。

「羯諦さま」という神様についてですが、僕からの回答は2つあります。
①は深沙大将(じんしゃたいしょう)という神様説
②経文による守護を期待した説
どちらも憶測の域を出ませんが、宜しければお付き合いください。

先ず①の、深沙大将についてのお話です。
深沙大将は三蔵法師(玄奘三蔵)が、天竺からお経を授かり唐へ帰る道中の砂漠で出会った神様です。
深沙大将は三蔵法師に以下の事を告げます。
・三蔵法師が過去世6回にわたって仏教の布教の旅をした事。
・深沙大将はその6回の旅でことごとく三蔵法師を殺した事。
・この旅は7回目である事。
・三蔵法師の不屈の志に感激し、悔い改めたい事。
・過去世6回の殺害の罪を許して欲しい事。

これを聞いた三蔵法師は過去世で自分を6回殺した深沙大将の大罪を、あっさりと許します。深沙大将は喜びのあまり感涙し、三蔵法師の旅に同道して護衛に努め、ついには三蔵法師が命を懸けて運んだお経(般若経典群)の守護神(護法神)となったのでした。

…というのが、羯諦さま=深沙大将のあらましです。

ただし、この説には大きな問題があります。この深沙大将は、沙悟浄のモデルにもなった神様なのです。ですから辻褄が合わないのです。
(もちろん西遊記という物語そのものに、色々なパターンがあるのですが…)

さて②の説です。この羯諦ですが、般若心経の中で大神呪や大明呪と呼ばれるパートの経文です。この「呪(しゅ)」という言葉は「呪文」などというように、それを唱える事でご利益(神仏の加護など)を得られると信じられてきました。
いわば、お経の中に登場する「呪文」なのです。
西遊記の中で「羯諦さん達が守ってくれる」という台詞があったのであれば、この呪のご利益を期待しての事だったのかも知れません。

…難しい話をしてしまいましたが、①②の説の中で祥鳳さんの中で合点がいくものを選んで頂く形で、私からの返答に替えさせていただきたく思います。

また、このhasunohaには様々な僧侶の方が返答を書いてくださいますので、
ぜひ、他の方の意見も聞いてみてください。

それでは、失礼します。

【参考文献】
早川いくお『カッコいいほとけ』
藤丸智雄・鈴木健太『「般若経典」を読む』

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嶋田一成
副住職をしています 敬称略で「いっせいさん」と呼んでください。 カ...
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質問者からのお礼

光禪様、回答有難うございます。
スッキリしました。♫♫♫♫♫

シマダイッセイ様、返答有難うございます。①と②の話があるのですね。勉強になりました♫
自分は①の深沙大将の話が面白いと思いました

「仏像・仏様・阿弥陀・観音」問答一覧

神様も仏様も、必ずしも信じられない

以前「何を信じて生きていけばいいかわからない」ということで投稿させていただき、ご回答もいただいたのですが、やや気になる点があり追加で質問させていただきたく。 自分としては誠実にあろうと生きたつもりでした。 でも、家族間でも、仕事でも、あったことをなかったことにされてみたり、なかったことをあったかのようにされてみたりで責められ、うつ病にもなり、とうとうここ1年半くらいは引きこもりや寝たきりに近い状態になってしまいました。 物の善悪も、何を信じて生きていけばいいかもわからなくなりました。 それでも回答をいただき、自分を大切にして、やはり今までの自分を信じて誠実に生きていく方が良い方向へ向かえるだろうと思えてきました。 そうする中で、もう一回本気で取り組める仕事にも出会いたいし、楽しい趣味も見つけたいし、心穏やかに落ち着いて生きていきたいとも考えています。 ただ、「神様や仏様は見ている」という言葉が回答の中にあり、少し暗い気持ちも残ってしまいました。 神様や仏様がいるのなら、どうしてここまで至る前・・・あの時に助けてくださらなかったのか。あの時、あのひどい扱いをしてきた者たちに報いを与えて下さらなかったのか。もし私が間違っているというのなら、こうなるまでにそれを教えて下さらなかったのか。何ならば、今の私を救ってくださらないのか。何が足りないというのか。 そんな汚い感情を払拭することが出来ません。「神様仏様はそういう都合のいいものではない」、もしかすると「私が以前の何かの報いを受けているだけだ」、と言われてしまうかもしれませんが・・・。 そう考えると、 『本当に今まで通り真面目に誠実に生きる方向で大丈夫なのか?』 『今までの道徳をすべて捨て去るようなこともしなくていいのか?』 『それで「誰かに都合のいい人間」でなく、自分が良い人間となり、よき人生を送れるのか?』 汚い感情と一緒に、まだそういう迷いも多少残っています。 「よき人生を送れるかはわからないけど、無理に全部変えないで、今までのものをアップデートする形で十分じゃないかな」とは思うのですが。 神様や仏様に求めすぎるような汚い思いや、そもそも神様や仏様といった存在にどう向かいあうべきなのか。そして落ち着いた心で生きるためのアドバイスをいただけますと幸いです。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ