ふと死にたくなる
ふとした瞬間に死にたくなります。家族のことは好きだし、なにか特別辛いことがある訳ではないです。
なんの特徴も特技もないくそみたいな自分に嫌気がさして、ただ生きる事にストレスを感じます。
楽して生きたいけどそんな都合のいい話がある訳ないし、そんな考えを持ってしまう自分に嫌気がさします。
自分が将来どのような人間になっているかも想像できない。なりたい人間像もない。
生きている意味がないのに死ぬのは怖いと思ってしまいます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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人生を歩むということ
こんにちは、初めまして。
質問ではなく、独り言のような投稿のようです。
私は、その独り言の横で少し言葉をかけるような形にします。
「ふとした瞬間に死にたくなります。家族のことは好きだし、なにか特別辛いことがある訳ではないです」とあります。何もかも終わりにしたい、そんな気持ちに襲われるのですね。それは、漠然とした不安があるからでしょうか。そして、それは自分に対して、或いは友人関係等に起因するものか・・ご自分ではどう思われますか。
「特別辛いことがある訳ではない」というのは、とても得難いことですよ。
家族のおかげ、或いは周囲のおかげで守ってもらっているからかもしれません。そこに、気付きはありますか。
「なんの特徴も特技もないくそみたいな自分に嫌気がさして、ただ生きる事にストレス」とあります。謙遜で言われているのかもしれませんが、「特技」は磨かないと決して手に入りませんよ。その「特技」の道で、世界一、日本一にならなくても、部活で頑張った、今資格や勉学でこんなことを一生懸命にしている。それは既に「特徴」であり、「特技」だと思いますが、違いますか。
「ただ生きる」といわれていますね。
これも先程の重複になります。家族、周囲のおかげであなたは守られて生きているのではありませんか。そこに気付きはありますか。
「楽して生きたいけどそんな都合のいい話がある訳ない」、この考えを一概に否定することはないと思います。自分の現実を無視して極端にハードルを上げ、困難な仕事に始めから挑んで失敗するよりも、自分の気持の現実そのものから始めるのは大切なことです。自分に合った、比較的気持ちが楽な職業を見つける。あとは、具体化でしょう。
「自分が将来どのような人間になっているかも想像できない。なりたい人間像もない」とあります。将来像が明確でないと生きることってできないのでしょうか。むしろ、どうなっていくか、自分がどう成長していくかブラックボックスだからこそ面白いのではないですか。
あなたは既に人生を歩み始めています。
その道を無事に歩いていること自体に気付き、感謝し、特技を磨き、特徴を身に付け、時に歩き、時に走り、峠の向こうに開けた新しい景色を期待する。そして、その景色に感動する自分を想像する。
踏みしめている今を、大切に歩んでいって下さい。