恨まれました
別れ話のもつれで相手から物凄く一方的に恨まれました。その時、怨みつらみ脅しの言葉を散々浴びせられました。
言葉だけではなく行動でも…
それが長年続き今はやっとそれがなくなりましたがいまだにその時の恐怖が抜けずにいます。
怨みの念はいつまでも残るのでしょうか?
それは、自分がどんな理由にせよ一生背負っていかなきゃいけない贖罪なのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
永遠ではない
人の心は変化していきます。
永遠に今の状況が続くわけではないでしょう。
お芝居の舞台だと思いましょう。
あるお芝居で、まゆさんという主人公は他人からひどく恨まれている、というお話です。
ただし、主人公役を演じる役者は毎日変わるのです。
今日は、「あなた」がまゆさんを演じる日です。
明日は、別の誰かがまゆさんを演じるのです。
毎朝、目をあけたときに、毎日新しいまゆさんです。
今日一日の舞台だけ耐えられればよいのです。
役は役、ちょっと冷めた目線で、その役を演じきってください。
お芝居気分だと、たいして辛くないのです。
♪今日は悲劇のヒロイン♪
宇宙はたった一個の粒子からできているのかもしれません。一個の粒子が時空を超えて行き来しているため、同じ場所で複数の粒子が出会うのです。互いに、目の前にいるのが実は過去か未来の自分だと知らないで、恨んだり愛したりしているだけなのかも。
「わしが阿弥陀になるじゃない 阿弥陀の方からわしになる」という歌を遺した阿弥陀仏信者がいるそうです。
私は仏様になるのを目指しているが、もしかしたら仏様があえて私になってここにいるのかも?
そんなことを昔の一般在家信者が考えていたんですね。
日常を超えた大きな視点に心を解放してみるのも、リフレッシュになるかも。
質問者からのお礼
回答していただきありがとうございます。
永遠ではないという言葉に少し救われた気がします。