将来への不安、結婚するべきかどうか
年を取っていくにつれて、いつもうっすらと、将来に対する不安や、自分はこのまま年を重ねていいのだろうかという焦りを感じるようになりました。
出産可能な年齢のことも考えると、何か行動を起こさなければ…!と思い、勇気を出して婚活サイトに登録し、メッセージの続いた方とお会いしてみました。
おかしな話ですが、相手が良さそうな方だとわかり、なんだか重たい気持ちになってしまったのです。
やはり、私も結婚するべきなのだろうか。したほうが良いのだろうか?と。
もしかしたら、自分の本心は恋人や結婚を望んでいないのかもしれません。恋人と頻繁に連絡しあったり、デートするところを想像してみても、強く「そうなりたい!!」と思えないのです。
しかし将来一人になることへの心細さや、結婚や子供を持ったら人並みの苦労と幸福を知ることができるのでは?後悔しないためには、今動いたほうが良いのでは?という葛藤はあります。
婚活をやめたらやめたで、気が楽にはなるのですが、何もアクションを起こしていない自分の状態にまた不安や焦りが積もっていきます。
どうも、行動することによってなんとか安心したい、という心の動きがあるような気もします。
これも煩悩の一種でしょうか…。
自分の本音を理解することも難しい若輩者ですが、お言葉をいただけたら幸いです。
不安が絶えない
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お熱いうちに
こんにちは、初めまして。
お腹が空いた時、
これを食べるとお腹いっぱいになるだろう、
食べたほうが良いのかな・・・
と考えますか。
色々考える前に、
白米の美味しさを味わって、美味しい!と言えばいい、
お腹いっぱい食べられて幸せだなー、
と思えばいいのです。
「結婚するべきなのだろうか」と考えて、
「将来一人になることへの心細さや、結婚や子供を持ったら人並みの苦労と幸福を知ることができるのでは」と「葛藤」することもありましょう。
でも。
色々考える前に、
結婚したい、子供を持ちたい、「人並みの苦労と幸福を知」りたいと思えば、その通りにした方が良いのです。
ご飯は冷める前にいただくのが良いし、
結婚の熱も冷めないうちに行動に移すが良いでしょう。
人生は味わい、喜ぶ一瞬を求めて生きてこそ、ですから。
脚下照顧
拝読させて頂きました。
人間はいろんなことをあれこれと考えてしまい自らを不安にしてしまう生き物です。
どんな人ももしもこうだったら、ああだったらと考え、ああした方がいいこうした方がいいと試行錯誤してしまいます。そして人と見比べてしまって今自分にないものをみたりするといいと思ったりうらやましいと思ったりして、ないものねだりをするものです。
それが私たちの心のありようです。
まして今ないとおもうとあれもこれもと飛びつきたくなってかえって自分のことや今自分がやっていることや自分の価値観や生活を見失ってしまい余計に不安の中でさいなまれてしまうものです。
一息入れて思い立ったが吉日で行動してみてもいいでしょうし、じっくりと我が道を見据えて歩んでいかれてもいいかと思います。
正直何が正解なのかは誰にもわからないですからね。まして仏様や神様から見れば本当に些細なことです。
ひとまず立ちとまってみて自分の足元を見つめ直してみましょう。「脚下照顧」ですね。
そして自分がどのように人生を生きていきたいのか、周りの方々とどのようなご縁を結んでいきたいのかを見つめてみましょう。そして一歩一歩歩みを進めてみましょうね。
きっと素晴らしい出会いがあなたを待っていますよ。あなたが素晴らしい出会いに恵まれて心豊かに毎日を生きていかれます様心よりお祈りさせて頂きます。
質問者からのお礼
釋 悠水様
早速のお言葉ありがとうございます。
>色々考える前に、
>白米の美味しさを味わって、美味しい!と言えばいい、
>お腹いっぱい食べられて幸せだなー、
>と思えばいい
そうだと思います。
でも、食べようとしたけれど、美味しそうじゃないな…、と思ってしまったのです。
みんなが美味しいと言って食べている白米、私はちょっと苦手かもしれない。でも、健康のためには食べた方が良いだろうし、これを美味しいと思ってお仲いっぱい食べることができたら幸せだろうなあ、とも思います。
>色々考える前に、
>結婚したい、子供を持ちたい、「人並みの苦労と幸福を知」りたいと思えば、そ>の通りにした方が良いのです。
自分がそう思っているのかどうか。そこから思い悩んでおります。
でも、うかうかしていると、ご飯は冷めてしまいますし…。
難しいですね。頑張りたいと思います。
Kousyo Kuuyo Azuma様
早速のお言葉ありがとうございます。
>どんな人ももしもこうだったら、ああだったらと考え、ああした方がいいこうした方がいいと試行錯誤してしまいます。そして人と見比べてしまって今自分にないものをみたりするといいと思ったりうらやましいと思ったりして、ないものねだりをするものです。
>まして今ないとおもうとあれもこれもと飛びつきたくなってかえって自分のことや今自分がやっていることや自分の価値観や生活を見失ってしまい余計に不安の中でさいなまれてしまうものです。
その通りだと思います。ですが人間とはそういうものなんだと思えば、少し気が楽になるような気もいたしました。
こちらを拝見して、自分の中の焦りが焦りを呼んでいるのかな、という気もしてまいりました。
脚下照顧という言葉についても調べてみました。
まさに今自分の本性が自分でもよくわからなくなっており、迷いの中で同じところをぐるぐる回っている感覚です。
年齢のことを考えると、気持ちが定まらない自分に対してどうしても焦りが生まれてしまいます。
ですが、ひとまず立ちとまってみて、一歩一歩歩みを進めて、とのお言葉をいただいたことですし、足元が疎かにならないよう、心を落ち着ける努力をしてみようかなと思いました。