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優しいと言われる事に罪悪感があります

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毎日生きてく中で、常日頃から「優しい人になりたい」と強く願いながら生きています。

だからこそ人からしてもらった心遣いや優しさを参考に、自分もそうあれるようにと意識してはいるつもりです。

しかし、いざ人から「優しい人」だと評価されてしまうと、自分は相手を騙しているのではないかという罪悪感に駆られてしまいます。

自分の中にある優しい人というのは、優しさを自覚せず周りへ気遣いや思いやりを振り撒くことのできる人だと考えている部分があるせいかもしれません。

それでも「優しくなりたい」と行動する反面、優しいと評価されると強く罪悪感や後ろめたさを感じてしまう自分の中の矛盾が苦しくて仕方がないです。

自分は今、介護関係の仕事をしています。当然人と接する仕事ですのでコミュニケーションが重要になってきます。

しかし、自分の気持ちに余裕がない時は、どうしても優しさとはかけ離れた対応をしてしまい胸が苦しいです。

そんな自分なのに、周りのスタッフやリーダーさんからは「思いやりのある対応をしている」と評価されてしまい、嬉しい反面それ以上に心苦しいです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「憂」いのある人に、そっと寄り添える「人」を「優」しい人

芳乃さん
はじめまして小山と申します。メールを拝見させて頂きました。
優しさって難しいですよね。物差しで測れるわけでもないですし、目に見える物でもないので比べる事もできないと思っています。

ご自身の中に優しさの定義があるようですが、本当にそれを実際に出来ている方はいらっしゃるのでしょうか?
優しいとは本来、自分で判断するのではなく相手が判断する事です。こっちは優しさのつもりでも相手にとっては傷つけられたと思うかもしれません。

そこで、一度ご自身の考えをきちんと整理してみてはいかがでしょうか。
「良い、悪い」「好き、嫌い」の漠然と一方的な決めつけで見ないで、客観的に自分が今どうしてこう思ったのかを見て、言葉や文字にして外に出すと心の状態が見えてきます。つまり、今自分が具体的に見えてくるという事です。

周りから「思いやりのある対応」と評価されている時点で芳乃さんは、十分に優しい方だと思います。
相手の立場になってみて物事を考えてる、その時どうしてもらえれば自分だったら嬉しいのかな、助かるのかな、どんな言葉をかけてもらえば心が癒されるのかな、救われるのかな。私はそれを優しさ、思いやりだと思っています。

お釈迦さまの教えである仏教は、こうした人として大切な思いやりの行動を教えたものです。そして日蓮聖人も人を思いやる心を持ち続けた人です。
「憂い」とは思うようにならずつらい。苦しい。と言う意味です。
「憂」いのある人に、そっと寄り添える「人」を「優」しい人といいます。

ご自身の考えも大切ですが、そこにばかり執着していると苦しくなってきます。時には、周りのスタッフさんやリーダーさんの声えを素直に受け止めるのも優しさではないでしょうか。
どうか、芳乃さんの苦しみが苦しみでなくなりますようお釈迦さま、日蓮聖人の末弟として自坊より御祈念もうしあげます。 合掌

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有り難し
おきもち

日蓮宗僧侶で妙経寺副住職でございます。 仏教・法華経の教えまた、日蓮聖人...
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質問者からのお礼

お返事で頂いた言葉が隅から隅まで有難く、はっと気付かされてしまうようなものばかりで目からウロコです。
己の思考を頑なに譲らんとする自分は、ある種の傲慢であると気付かされました。
いい言葉ばかりへ耳を傾け、天狗になってしまうのを恐れている部分もありましたが、まずは周りから受けた言葉を素直に受け止め、自身の糧にしていこうと思いました!

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