とにかく早く死にたいです
鬱ではありません。とにかく早く死にたいという願望が消えません。
学生の頃、初めて身内が亡くなったことがきっかけです。大好きだった祖父でした。その祖父の葬儀に参加した時から早く死にたい気持ちが続いています。
祖父に会いたい、寂しいから死にたいのではありません。祖父の葬儀が素晴らしいものだったから死にたいのです。たくさんの人に囲まれて涙を流してもらいながらおくられる祖父を羨ましく思いました。
私も沢山の人におくられたいと思いました。
今、沢山の良い友人に恵まれています。両親も健在で仕事も上手くいっています。お金にも困っていません。趣味も充実しています。
ただ、自身のセクシャリティをカミングアウト出来ない、したくないため、恋人や配偶者ができる見込みがありません。
このままだと大好きな友人達は家庭を持って離れていき、家族とは死別してしまいます。私一人になってしまい、葬儀の夢も叶わなくなるのだとすると、やっぱり早く死ななきゃ!と思います。
自殺をすると葬儀が気まずくなるので、するつもりはありません。ただ早く死にたいと焦る気持ちに疲れます。
望んで早く死ぬことは無理だとわかっています。どうすればこの思考を外らせることが出来ますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
【諦】かめはめ波を断念
私は幼い頃、いじめっこを撃退する為に一生懸命にかめはめ波の練習をしました。きっと一心不乱に修行すれば出せるようになるはずだと強く強く信じていたのですが、でもやっぱりどんなにがんばっても出せませんでした。発想のネタ元を検めてみると、どうやら亀仙人のじっちゃんですら50年はかかったとか。それじゃあダメだ、とても間に合わない。このままでは半年後にはヤツらに殺されているかもしれない。
ということで、いじめっこ達を必殺のかめはめ波で一掃する作戦はキレイさっぱりあきらめて、かめはめ波には頼らない方法を必死に考えました。
【諦める】(あきらめる)とは、物事を中途半端に投げ出すことではありません。真実をハッキリと見極めるという意味です。あなたも安直にできもしない必殺技を繰り出そうなどという発想は棄てて、別のもう少し堅実な方法で課題を解決する事を考えた方がよさそうですね。
死ぬことよりも生きることを、ならば楽しく生きることを。
いずれは誰でも死を迎えます。
それは、単なる肉体の変化(消滅)に過ぎません。
でも魂も意識も消滅しませんから、ゆえに、今を楽しく生きることを考えばいいのです。
おじいさまの死、ご葬儀が素晴らしいかったのは、それだけの人生を送られたからです。それに対して、皆さんも感謝の思いをもって送られたからです。
ゆえに、自分もそうなりかったら、そのような人生を送ればいいのです。
そして、どうせ生きるなら、楽しく生きることを最優先すればいいのです。
いつかは、必ずお迎えはきますから。