私は幸せになってもいいですか?
お忙しいところすみません。
質問失礼致します。
私には、過去に人を傷つけ執着した罪があります。
今は反省し、二度と同じことはしないと心に誓っています。
相手に嫌われたこと、その事を周りに広められ誰かに嫌われる事もそれでいいと思っています。
いけないことですが、「20年もすれば互いにどうでもよくなるだろう」と思ってしまう自分もいます。
しかし、自分が人を傷つけたという事実、自己嫌悪や罪悪感、自責の念に駆られ、傷つけた側なのに精神を病み精神科に通っています。
自死も考えましたが、そんな勇気もなく、むしろ母の顔が浮かびそんなこと出来ませんでした。
言ってしまえば私は加害者です。
でも、嫌われていてもいいから幸せになりたいのです。
人の気持ちに寄り添える人になりたいのです。
加害者の私が幸せになってもいいのでしょうか。
お坊様のご説法、宜しくお願い致します。
執着、後悔、自責、罪悪感
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
どうぞ幸せになってください。
ご相談ありがとうございます。
自らの行いを後悔し、苦しみ続けてしまうのは、
とても自然なことどす。
むしろ相手のこと、過去のことと丁寧に向き合っているからこそ、
今も考え続けておられるのだろうと思います。
仰る通り、周りの人は時間が経てば忘れていくでしょう。
しかし、自分の心からは離れないものです。
浄土真宗の悪人正機という教えは、
「どうにもならない自分」
「罪を犯してしまう自分」
が救われる道を説いています。
仏さまは、器用に生きている人よりも、
誰かを傷つけながら不器用に生きている人をまずは心配なさっているそうです。
仏さまは罪を犯してしまう人も優しく見守っておられます。
これまでの罪悪感をご自分で受け止められたとき、
周りの人にも今以上に優しく接することができると思います。
質問者からのお礼
武田正文様
ご回答有難う御座います。
悪人正機というお教えや、こんな私も仏様はご心配下さり、見守って下さるということを知る事ができ安心しました。
心から感謝致します。
本当に有難う御座いました。