消えてなくなりたい
今現在、老人ホームの生活相談員として勤務しております。
仕事もやりがいを感じながら頑張っているつもりですが、ここ数日ぼやぁと、『消えてなくなりたい』と考えることが増えてきました。
元々、パニック障害や摂食障害などを発症しており、その都度治療はしてきました。
現段階では、症状も落ち着いてきていたので、内服等は行っていません。
『消えてなくなりたい』と思っている自分に対して、『なぜそんなこと考えるのか』とイラつきや自己嫌悪を感じてしまいます。
今まで通り病院に行けばいいのかもしれませんが、少し気持ちが楽になるお言葉をいただきたく相談させていただきました。
よろしくお願い致します。
他者とのコミュニケーションが難しい。 過食嘔吐をしてしまう。 消えてなくなりたいと考えてしまう。 過呼吸になりそうになる
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
四諦八正道
ご相談ありがとうございます。
微力ながら一緒に考えさせていただきます。
「消えてなくなりたい」と考えて、さらにその自分に自己嫌悪してしまうという事ですが、
仏教というのは内面をしっかり見据えて認めていく事だろうと思います。
「消えてなくなりたい」と思うのも私です。
そこだけを否定しても何も始まりません。
お釈迦様の教えを四諦八正道と申します。
四つのあきらかにされた事、八つの正しい道です。
詳しくは触れませんが、私が面白いと思っていることは
四諦の「諦」という漢字です。
片方から読めば、「あきらめる」
片方から読めば、「あきらかにする」
全く感じ方が違うように思われます。
諦というのは真実を表しているのでしょう。
真実ですから、私がどう受け止めるかです。
ネガティブに考えればしょうがないあきらめる
ポジティブに考えれば私というものの真実に気づきあきらかにする。
私が「消えてなくなりたい」と思った。
ということは真実です。そこには「なぜ」とか「どうして」とかいろんな感情が渦巻いていると思いますが、その「消えてなくなりたい」と思った私も少しだけ認めてあげてください。それもあなたの一部です。
先ほども申しましたが、仏教は自分の内面の気づきを大切にします。
僧侶をしている私も自分でも認めたくないものをたくさん抱えて生きています。
しかし、自分自身が認めようと、認めまいと、そこにあるのは真実です。
いかに苦しくても認めて付き合っていくしかないのです。
あなたはあなたを生きていくのです。
誰も変わってあげることのできない私を生きているのです。
その苦しみに少しでも寄り添っていきたいと願っているのが仏教です。
また何かありましたら相談してみてください。
心の安定に少しでもお役立てできれば幸いです。