猫の死
2ヶ月前にボロボロの猫を保護しました。毎朝同じ場所に現れこちらを見ていました。長くないかもしれないと思い、最後を看取るつもりで保護しました。
病院につれていったところ、かなり年寄りで栄養失調ではあるが特に重篤な病気はみつからなかったので、しばらく一緒に生きていけると嬉しくなり、病院に入院させ、退院後も検査と経過観察の為に通っていました。去勢済みだったので捨てられたんじゃないかと言われました。それなら余生はこれから私とゆっくり過ごしていけばいいと思っていました。しかし、つい昨日までは元気だったのに次の日亡くなってしまったんです。2ヶ月しか一緒にいられませんでした。体重も増えてこのままゆっくり良くなっていくと思っていたので言葉では表せない程のショックです。私が病院に通ってストレスを与えてしまったからなのか?あのまま外で過ごしていた方が幸せだったのか?
保護したのは私のエゴだったのか?
正解は無いと思いますが、あの子に申し訳ないのです。捨てられたのかもしれないのに人が好きな様でゴロゴロ懐いてくるかわいい子でした。
私が余計なことをしなければあの子はもっと生きていられたのかもしれないと罪悪感があります。自分のエゴであの子の命の期間を縮めてしまった気がして心の整理がつきません。何かお言葉を頂きたく相談しました。
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虹の橋
初めまして。
拝読致しました。
余命いくばくも無いかもしれない捨て猫を保護したこと。あなたがその子の為にと病院へ通院したこと。何一つ間違っていませんよ。きっとその子だって解っているハズ。最期をあなたのような優しい方に見送ってもらい、間違いなく「ありがとう」と言ってますよ。だから、そんなに自分を責めないで。自分を責めていることが亡き子を苦しめてしまいますよ。
と、いうのも、私も三年ほど前に同じ経験をしたからなんです。生後二ヶ月ほどの子犬を保護団体から引き取ったのですが、心臓が悪かったために、わずか半年しか生きられなかった。可愛い子でした……。
亡くなってすぐにお経をあげていると、悲しくて悲しくて、ボロボロ泣きながらの供養になってしまいました。
もう一度会いたい、と強く念っていた時に「虹の橋」という本に巡りあいました。
その内容を少しく。
そこは、痛みも苦しみもない世界で、沢山の動物達が楽しく過ごしています。
……ただひとつの気がかりを除いて。
その気がかりとは、置いてきてしまった家族のこと。沢山愛してくれたあの人のこと。元気にしてるかな?大丈夫かな?いつも心配しています。
ある時、一匹の犬が吠え、走り出しました。
その子の家族がやってきたのです。ずっと会いたかった、愛してくれた人。ようやく再会出来たことに喜び、幸せそうにその人と共に虹の橋を渡って、向こうの世界へ行きました。
あなたの愛した子も、私の愛した子も、きっとそこで心配して待っています。心にポッカリ空いた穴がすぐに埋まることはありませんが、少しでも心が落ち着いてきた時に。その子達の為にも、どうか、出来るだけ、与えられた人生を、明るく楽しく元気に生きて下さい。それがその子に出来る恩返しであります。
またいつか虹の橋のたもとで出会えた時に「よく頑張ったね。ありがとう」と言って貰えるように。あなたも、私も、生きていきましょうね。
拝
質問者からのお礼
ありがとうございます。
元気になってきていたので、もっと一緒にいれると思ってました。
なので余計にショックで、悲しくて。
原因もよく分からなかったのであの子に申し訳なくて仕方ないのです。
短い間でしたがあの子のことは忘れません。泣いてばかりではだめですね。
ありがとうございました。