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劣等感、罪悪感、不安から開放されるには

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お坊様の皆さまは、俗世間のまよいや苦しみから解放されているのでしょうか。

また、それは厳しい修行によってのみ得られるものなのでしょうか。「考え方」についての本など色々読み、実践しましたが、一向に心の辛さ苦しさ、不安、恐怖は無くなりません。

確かに身体を極限状態におけば、余計な事を考える余裕はなくなると思いますが、その状態を常に続けるという事なのでしょうか。体力気力の限界を超えて仕事を続ければとも思いますが、身体か精神を壊してしまうと思います。それは中途半端だからでしょうか。そのさらに先に心の平穏があるのでしょうか。

執着や自我を無くし、ただ、あるという感覚を身につけたいのですが、至難です。無くなった祖母や、昔の人、とくに田舎の人達はそれに近い生き方だったように感じます。

妻子もあるのに、うつ病と診断され、15年が経ちます。あらゆる意味で力不足です。医者からは無理な事はするなとばかり言われますが、自分は病気が治らないのか、精神力や根性が無いだけなのかわからなくなっています。
自分の無力が周りの全てを不幸にしてしまうという不安、自分は五体満足なのに人並みの事が何も出来ないという罪悪感に苦しんでいます。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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いのち終えるまで尽きません

そういう立派なお坊様もおられるのでしょうが

私自身は常に俗世間の迷いや苦しみに時には酔い、時には振り回されながら生きております。

残念ながら、私の煩悩は私のいのち終わる時まで無くならないものですね。

けれどもその私に、どうか仏様の国に生まれてくださいという阿弥陀の呼びかけが聞こえます。きっとこれは、いのち終わるまで響き続けるものだと感じています。

以前、法話でこんな話を聞いたことがあります。

ある念仏者のお婆さんのところに、別の宗教を勧める人が来たそうです。

その人は念仏者のお婆さんにむかってこう言いました。うちの宗教を信じれば不安なんて簡単に消えますよ。お婆さんの不安を取り払いませんかと。

それに対してお婆さんは、不安を取るなんてとんでもない。不安があるから私は阿弥陀様の話を聞けるんじゃと、こう答えたと。

不安があるから私たちは仏教の話を聞ける、道を求めるということがあるのではないでしょうか。

ひっぴーさんは不安に苦しんでおられるのですね。またいろいろな道を試されているとも、ひっぴーさんのお言葉からお聞きしました。

心の平穏なんて、私には無いというところから始まる仏教もありますが、ひっぴーさんはどう思われますか。

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