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真言について

回答数回答 2
有り難し有り難し 19

密教系のお坊様の方が回答しやすいかなと思いますが

真言宗や天台宗、その他修験道など

例えれば
不動明王の真言に関して

のうまく

なうまく
で始まったり

真言の中身も
同じ真言宗でも違うし
同じ天台宗でも違います

私自身は単なる一般人で宗教家でも何でもありません

私自身が言いやすい
真言を
真言宗や天台宗の真言を混ぜて、

私だけの
オリジナルの真言を作ったりしてはいけないでしょうか

よろしくお願いいたします


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

それは あかんやろ

拝読いたしました
真言だけでなくお経なども
宗派によって読み方が違ったりしますよ

理由や根拠を理解しようとせずに
宗派によって違うんだから
オリジナルで作っても良いだろうと
簡単に思われると悲しい気持ちになります

真言やお経は
しっかりとお寺や修行の場で伝授と言って
授かるものです
それだけ大切にしているのです

オリジナルの真言を作るだとぉ
それは あかんやろ

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有り難し
おきもち

中川龍伽
大阪府にある山の頂上で小さなお寺を守っています 一般家庭に生まれ ...
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真言

武骨さま

「真言」は、インド・中国・チベットの言語間の違いや時代によっても発音が異なる場合があります。もちろん訳仕方による違いもあります。

過去問答を拝見しましたら、曹洞宗の檀信徒さんのようですが、例えば、同じ禅宗でも、曹洞宗、臨済宗、黄檗宗で同じお経でも発音が異なっている場合があります。特に黄檗宗は中国・明代での発音が中心で、同じお経でもここまで違うのかと思ったものであります。

また、例えば臨済宗でも、皆、同様の経本を使うのですが、僧堂でもここの発音は、それではなくこうだと経本の発音を手直しすることも多々でありました。まあ、本山がこれが基本と定めた発音でも、伝統的に僧堂ではこう読むのだとして訂正を入れていたことがあり、それはそれでそんなものなのかなと思ったものであります。

しかし、問題は発音にあるわけではなく、その「聖なるお言葉」、つまり、「仏陀、如来のお教え」の真実義をいかに理解して実践できるかというところであります。

特に真言は、単なる文字ではなく、それは清らかな聖なる真実義を表すお言葉となります。そして、真言には如来のお加持のお力が宿っているのであります。

ですから三密加持の一つとして口密、真言があり、心を清浄ならしめる力があるのであります。

真言をお唱えするのに、灌頂、伝授、ルンが必要であるというのは、そのお加持のお力を確実に頂戴するためでもあります。

できれば、 灌頂、宗旨宗派を問わずにどなたでも受けられる結縁灌頂(高野山・真言宗と比叡山・天台宗で)もありますから、そちらからまずは受けられるのも良いでしょう。

またどうしても真言や作法を間違ってしまう場合もあります。その対策につきましては、下記の問答の拙回答をご参考下さいませ。

https://hasunoha.jp/questions/47863

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

川口様
丁寧なご回答ありがとうございます
歪曲的な表現が難しい部分もありましたが
要は真言というのははるか昔からある聖なる言葉で
私自身が、それを勝手に作りかえるなど、もってのほかということですね
私はいくら幼稚な質問だとしても
それをきちんと大人の対応で話していただけるお坊様しかお返事は致しません
ありがとうございました
十分に理解いたしました

「仏教宗派について」問答一覧

僕に合っている宗派は?

今のところは実家は浄土真宗、自分は浄土宗の信者を自称していますが、なかなか僕の婚活がうまくいかない事を見かねた両親が近所の占い師に相談したら、高野山で祈祷してもらえと言われたためにこのお盆休みに高野山に参拝したところ、今まであんまり興味なかった浄土門以外の仏教も良いもんだなあという気になってしまいました。 そこで深く考えると、この現世を穢土とみなして、自分の考え・善行を自力と呼んで否定する法然上人以降の浄土教の教義に染まっているために、よく指摘される周りとの感覚のズレが生じてしまっているのではないかとも思えてきたのです。もっと今生きているこの世を肯定的に捉える教えでも良いんじゃないかと。 また、もし首尾よく結婚できたとしたら今回祈祷してもらった愛染明王さまも僕の中で特別な仏様になるでしょう。そうするとますます専修念仏とは遠ざかりますね……。 ただ、慣れ親しんできた顕教を捨てて密教100%の真言宗まで振り切る勇気はないので、新たに選ぶとしたら空也・源信流の浄土教を伝手として天台宗かなと思っています。僕が一番信仰しているのは善光寺如来で、善光寺は浄土宗と天台宗の共同管理でもあることなので。 ただ、天台宗は称名念仏ではなく観想念仏だと言われますがそれをやり切る自信はないし、朝題目と言われても某新興宗教団体へのアレルギーから南無妙法蓮華経と毎日唱えることには少し抵抗を感じます。こんな気持ちで天台宗に行くべきではないでしょうか? 天台真盛宗というのもあってそこは南無阿弥陀仏の念仏メインだそうですが、ここでも南無妙法蓮華経は唱えないといけないでしょうか?(明智光秀が好きなのでその点は西教寺も良いなと思います) なんだかとりとめもなくなってしまいましたが、早い話が来世の往生だけを期待する専修念仏の枠組内には居られず、現世でもいろんな菩薩・明王・天・神道の神々に頼んで幸せに生きたいけど主尊としては今まで通り阿弥陀さまに居てほしいし、さりとて職業を持つ在家の身なのであまり観想念仏のような難しい行を求められても困る……というわがままな悩みです。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

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私は、夫婦ともども地方都市より都心に出てきて居を構え、菩提寺も信徒としてお世話になっているお寺もありません。 夫の実家は新興宗教信者の曽祖父から独立してできた無宗教の一家で、私の実家も引っ越しの際に墓じまいをしてお寺との関わりがないような状況です。 私の父方と母方の祖父母は浄土真宗と日蓮宗の檀家だったと思いますが、信心深い祖父母の家にいることが多かった私は、仏壇に手を合わせ読経して育ち、結婚して家に入る時には婚家の信仰するお寺のお勤めをするものだと思っていました。 ところが、夫の家が無宗教と聞いて愕然とし、結婚後、数年は我慢してきたのですが…最近になって自分の信仰の場を持ちたいと強く思うようになりました。 上記のことから、これから先、一生の信仰として信徒になり、励めるお寺を探しています。 ところが、コロナ禍になってからというもの、門が開いていてもお掃除の方しかおられないお寺も多く、法話会や写経会が中止となっているところも多々あって、僧侶のお人柄などに触れる機会が少なくなっている気がします。 このような中で自分に合った信仰の場を探すにはどうしたら良いでしょうか。 なお、宗派は浄土真宗、日蓮宗だけに絞ろうとは考えておりません。 住まいの近くには曹洞宗や日蓮宗が多いようですが、隣の区あたりまで範囲を広げて探すつもりでおります。 また、コロナ禍で外出が難しかった折にさまざまな宗派の教義や勤行等調べてみたのですが、どれもとても素晴らしく感じ、なお迷いが深くなってしまい困っています…。

有り難し有り難し 16
回答数回答 1

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