真言について
密教系のお坊様の方が回答しやすいかなと思いますが
真言宗や天台宗、その他修験道など
例えれば
不動明王の真言に関して
のうまく
や
なうまく
で始まったり
真言の中身も
同じ真言宗でも違うし
同じ天台宗でも違います
私自身は単なる一般人で宗教家でも何でもありません
私自身が言いやすい
真言を
真言宗や天台宗の真言を混ぜて、
私だけの
オリジナルの真言を作ったりしてはいけないでしょうか
よろしくお願いいたします
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
それは あかんやろ
拝読いたしました
真言だけでなくお経なども
宗派によって読み方が違ったりしますよ
理由や根拠を理解しようとせずに
宗派によって違うんだから
オリジナルで作っても良いだろうと
簡単に思われると悲しい気持ちになります
真言やお経は
しっかりとお寺や修行の場で伝授と言って
授かるものです
それだけ大切にしているのです
オリジナルの真言を作るだとぉ
それは あかんやろ
真言
武骨さま
「真言」は、インド・中国・チベットの言語間の違いや時代によっても発音が異なる場合があります。もちろん訳仕方による違いもあります。
過去問答を拝見しましたら、曹洞宗の檀信徒さんのようですが、例えば、同じ禅宗でも、曹洞宗、臨済宗、黄檗宗で同じお経でも発音が異なっている場合があります。特に黄檗宗は中国・明代での発音が中心で、同じお経でもここまで違うのかと思ったものであります。
また、例えば臨済宗でも、皆、同様の経本を使うのですが、僧堂でもここの発音は、それではなくこうだと経本の発音を手直しすることも多々でありました。まあ、本山がこれが基本と定めた発音でも、伝統的に僧堂ではこう読むのだとして訂正を入れていたことがあり、それはそれでそんなものなのかなと思ったものであります。
しかし、問題は発音にあるわけではなく、その「聖なるお言葉」、つまり、「仏陀、如来のお教え」の真実義をいかに理解して実践できるかというところであります。
特に真言は、単なる文字ではなく、それは清らかな聖なる真実義を表すお言葉となります。そして、真言には如来のお加持のお力が宿っているのであります。
ですから三密加持の一つとして口密、真言があり、心を清浄ならしめる力があるのであります。
真言をお唱えするのに、灌頂、伝授、ルンが必要であるというのは、そのお加持のお力を確実に頂戴するためでもあります。
できれば、 灌頂、宗旨宗派を問わずにどなたでも受けられる結縁灌頂(高野山・真言宗と比叡山・天台宗で)もありますから、そちらからまずは受けられるのも良いでしょう。
またどうしても真言や作法を間違ってしまう場合もあります。その対策につきましては、下記の問答の拙回答をご参考下さいませ。
https://hasunoha.jp/questions/47863
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
川口様
丁寧なご回答ありがとうございます
歪曲的な表現が難しい部分もありましたが
要は真言というのははるか昔からある聖なる言葉で
私自身が、それを勝手に作りかえるなど、もってのほかということですね
私はいくら幼稚な質問だとしても
それをきちんと大人の対応で話していただけるお坊様しかお返事は致しません
ありがとうございました
十分に理解いたしました