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越法罪について

回答数回答 2
有り難し有り難し 31

できれば真言宗の方にお聞きできたら幸いです。
①自分は少し前から不動明王様に興味を抱くようになり
お寺などに行くようになりました。
今日、初めて知ったのですが密教には越法罪というのがあるのですね。僕は全然一才知らなく経本の不動尊秘密陀羅尼経を買って唱えてしまったことが何回かありました。あと、お寺で護摩をやってもらってる最中にお坊さん達が不動明王真言を唱えてるときに手印をやりながら唱えてしまったことがあります。
他にも般若心経、光明真言なども唱えてしまったことがあります。自分は全然これらのことは無知だったので、良かれと思ってやってしまっていました。
それでもネットで色々調べてみると在家信徒が陀羅尼経を口にしたり、手印や梵字を書くやるなど…すると地獄に落ちる 体に異常をきたすなど書かれてありました。自分はこれらで儲けとか商売とかやってません。僕は地獄へ落ちるのでしょうか?
そう考えるとゾクゾクしてきました、、、
②お経を唱えてると長かったり難しい言い方があるのでつっかえたり噛んだりしてしまうことがあります。
お坊さんは、噛まないのはなんででしょうか?
そうすると霊は寄ってくるんですか?
修行を何年も積んでるからでしょうか?
長くなりましたがご返信お願いします。
③将来、真言宗のお坊さんになろうかと考えてまして
そうするとお寺で何年も修行を積まなければならない
と大変な感じがあります。実際の1日の流れや、どんな感じなのか教えてください。(越法罪にならない程度に)大変長くなりましたがご返信宜しくお願いします


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

いろいろなお寺を参り師匠を探しましょう

はじめまして。
文章を拝読させて頂きました。いろいろとご心配になられたのですね?でも、大丈夫ですよ。

祈りたいという信仰心から出たことですし、お寺で護摩の時に僧侶と一緒に真言や経典を唱えるのは越法罪にはならないですよ。
不動明王真言や光明真言、般若心経など、お寺で皆と一緒に唱えられる真言やお経はご自分でも唱えて大丈夫ですよ。
ただ、手に印を組むのは師となる僧侶に習ってからにしましょう。
越法罪というのはむしろ、教える側が、その人には授けるべきではない資質を越えた法を授ける場合の罪をいうことの方が多いと思います。

真言宗の修行には、段階的にここまでなら、ここまでは教えられるという決まりがあり、本人の習熟度により、しっかりと師匠が教えを授けることになっています。

貴方の場合は、まず自分に合った師匠を探すのが一番です。
しかし、師匠を探すのは大変なことですが、めげずに探してください。

自分に師匠を授けてくださいと御神仏様に祈りながら探すと良いと思います。

弟子にしてくださいと頼んでも、皆最初は断られると思います。(むしろ弟子welcomeな場合は新興宗教などお金ばかり取られてしまう所もあるようなので注意が必要だと思います)
師匠になって欲しい僧侶が現れたら、じっくりと何度もお寺に通ってください。

お坊さんがお経を間違えにくいのは、修行の時に身についているからだと思いますます。

善き師匠に巡り会うことをお祈りしております。

合掌

追記、実際の修行の1日の流れや年数は状況により異なります。
多分最初は師匠の寺に通って雑務をすることから始まると思います。

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おきもち

仏道に入門して39年が経ちました。 死ぬまで修行を続けるのがお坊さん...
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金剛薩埵百字真言

kaitoverさま

密教の修法は、ご懸念の通り、越三昧耶(越法罪)に気を付けなければならないところがございます。

しかし、それをあまりに気にし過ぎてしまっては、本来の目的を見失うことになってしまう場合もあります。

ご仏縁を一大事とするならば、密教の法とのご縁も大切なものとなります。

まあ、越三昧耶(越法罪)によって地獄に堕ちるのが怖いとしても、私たちはこれまで何度も気の遠くなるような長い輪廻の中で地獄に堕ちてきていたはずで、それは越三昧耶(越法罪)によるものであろうが、なかろうが、今さら地獄に堕ちることを怖がったとしても、正直、あまり意味のないものであります。

ちなみに拙生の次世はおそらく地獄行であります。

とにかく、それよりも、また地獄に堕ちてしまうのは仕方がないとしても、輪廻の中で仏様、仏法とのご縁が衰退してしまう、断絶してしまう方が恐ろしく怖いものであります。

顕密に拘わらず仏法を扱えることは誠に稀有にて有り難く尊いことでございます。

しっかりと菩提心の育み、仏道の推進に繋げ、智慧と福徳の二資糧の集積に努めて参りたいものでございます。

もし、どうしても色々と気になるようでしたら、成就法(密教の修法を扱われた)の最後に金剛薩埵百字真言をお唱えになられるのも良いでしょう。

こちらをご参考なさって下さい。

金剛薩埵念誦法
https://www.mmba.jp/archives/17325

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

どうもコメントありがとうございます。
ずっも同じのとこを考えても仕方ないと教えさせていただきました。これからも仏様にご縁があるように日々、精進していきたいと思います。

「真言宗」問答一覧

愛染明王様のご真言を一般人が唱えて良いか

初めまして。 私は、実家の宗派が浄土真宗ですが、中学校と高校が真言宗の学校であり、真言宗のお寺によくお参りに行っております。 そのような中で、真言宗の僧侶の方がお書きになった本を拝読し、YouTubeを拝読する機会があり、愛染明王様のご真言が書かれておりました。 そこで、自分にとっての良縁が結ばれるようにと、自宅で白い紙にお願い事と自分の名前を書き、その紙を両手で挟んで 愛染明王様に語りかけ、ご真言を毎日何回か唱えております。 すると、私にとって良い意味で不思議な出来事がたくさん起こり始め、なんだか毎日が安定して楽しい未来を想像してワクワクしてまいりました。 しかし、ネットでより深く調べてみると、「ご真言を素人が唱えるのはよくない」「敬愛法は素人が安易に行ってはいけない。代償が起きることがある」と書かれており、少し不安になりました。 そこで私は、「確かに、自分はご利益の内容をきっかけにご真言を唱え始めたので、不純で恐縮だった。」と反省しつつ、 「愛染明王様のおかげさまで日々私は安心して楽しく暮らせるようになったのだから、その感謝と挨拶を、愛染明王様が祀られているお寺に伺ってお伝えしよう」と考えるようになりました。 そしてそのまま愛染明王様との繋がりを信じ、ネットの記事を気にせずご真言をお唱えしているのですが、良いのでしょうか?また、よくお参りする真言宗のお寺とは別に、愛染明王様が祀られているお寺やその他のお参りしたい神社仏閣に複数お参りに行くことは、良くないことなのでしょうか?

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

真言宗のお坊様

不躾なお話になりますが、お許しください 私は単身者もうすぐ40になります。 福祉の仕事で、専門職として働いておりました。 10数年勤めておりました。やりがいはもちろんあるのですが、お役所仕事と言いますか、毎日の大人同士の人間関係を大切にしてその日を過ごす。そのような雰囲気があります。 ここ最近は無気力な気持ちに苛む事が多くなりました。これについては私生活における大きな悩みも要因でした。少しメンタルの不調が続いています。 今はまたチャンスを頂き、同業他社で働く予定で仕事開始を控えております。 経済的な事もあり、求人を読み漁ってました。その中でこれがやりたいという気持ちも一切湧かず、前職と比べたら給与も安く肉体労働系の仕事など今より条件が悪くなるものばかりです。 働く事は生活のためであるのだから自分の考えでは甘いと思います。 物事を思い詰めてしまうところがあり、何事も見通しが持てないと不安が強くなる特性もあります。 今までの仕事での充足感や必要とされていた感覚を捨てて、異業種に行く怖さがとても強くあります。 そんな中ここ数年、YouTubeなどでお坊さんの話を聴く機会を多く持ってました。 そして生まれ育った環境の影響もあり、真言宗僧侶に興味関心を持っております。 なぜ興味を持ったのかというのも正直なところ、仏教の先人達の教えを学び、自分の人生をより豊かにしていきたい。というのが大きな理由になります。僧侶になれば自分の精神的な弱さも含めて救われるのではないか?と考えました。人のために役立つ事は苦にならないのですが、反面人付き合いが得意ではありません。人間関係の疲れ、俗世から脱出したいというのもあります。 僧侶といっても宿坊へ就職する感じになります。 お坊様からこのような考えについて何かご意見頂きたかった事。 男性社会であるお寺(宿坊)での実際の業務や修行の話を伺いたく相談いたしました 私の勝手な想像ですが、お寺(宿坊)が僧侶としての道を支援して頂ける。これは一生仕える気持ちでそのお寺に就職という事を相手様も希望している。生半可な気持ちでは来て頂きたくない。というのが本音ではないかと思っております 次の内定が決まった福祉の仕事を長く続ける事が、今自分にとっての最適解と考えてはおりますが、この次はお寺で働きたい。とやはり考えてしまいます 何か方向性を示して頂けましたら幸いです

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

真言宗の僧侶になるには

僧侶になる人の心構えを教えてください。 自身を修行の場に身を置き、一切言い訳や弱音を吐けない場所で仏教を学びながら、自分や周りの人生を仏教を学んだうえで豊かにしていけるのでは?と考えてます。 高野山の宿坊では宿業務の傍ら、僧侶になれます。と求人が出ております。 このような場所に身を置いて学ぶ事の想像が出来ませんが、どんな人間でもそれなりの精神的成長は見込めるものでしょうか? 今は都会で暮らしており、少し人生に疲れているところはあります。何事にも中途半端になってしまうところもあります。 ですが、高野山の宿坊を調べてるうちに、ピンキリとあり、結局のところお金が神様と考える資本主義の世の中から断ち切れるか?修行の場にも俗世の欲望や煩悩から切っても切れない場であるのか? 全ては自分次第だとは思いますが、何かアドバイス頂けたらと思います。 真言宗にしたのは高野山含めて昔から馴染みがあります。 あと人との関係性を築くのがあまり得意ではなく、大体独り行動が多くここまで来ました。医療系の仕事で業務の会話のみで成り立つ、女性に囲まれた環境が長かったです。 男性社会の人間関係はどのようなものかも実情を教えて頂けたら幸いです。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 24
回答数回答 2

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ