ダンスを再開。自分の承認欲求に気づいた
9月からダンスレッスンに通い始めました。3年ぶりの再開になります。
きっかけは、コロナ自粛中の体調不良を改善するためでした。
最初はまるで体が動かす、年齢的な衰えも感じてがっくりしていましたが、山登りを平行して行っていたので次第に体力がつき、ダンスもやりやすくなりました。
まだ2ヶ月ほどしか通っていませんが、ダンスを通して気づいたことがありました。
自分は、凄く承認欲求が強いということです。
褒められたい、すごいっていってもらいたい、肯定してもらいたい。
そういうのは、自信のなさにつながっているらしいですね。
ダンスは体にいいかなとおもって続けるつもりですが、この承認欲求がやっかいで、自分を自分で苦しめているようです。
ダンスに限らず、自分はずっとこの他人からの承認欲求を欲しがって苦しかったような気がします。自己アピール下手です。
何か欲しいんだが、何がしたいんだか、なにをどうすれば満たされるのか。
ひとに認められなくても、自分を認めらられる方法を散々探しましたが、わかりません。
寂しいんです。
めんどくさい質問、すみません。
回答いただけたら嬉しいです。
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
承認欲求はありますよね。
チワワさんはじめまして、
ご相談ありがとうございます。
一緒に考えさせていただきます。
承認欲求ってありますよね。
私もあります。
若い頃SNSで投稿したらすぐ いいね! が付いたか何回も確認してました。
今でもこのhasunohaで回答したら、皆さんにちゃんと届いただろうかと、いいね!じゃなくて 有り難し がつくかとか気になってしまいます。
有り難しの強要ではありません(笑)
私はずーと水泳をやっていたんですが、水泳の場合はタイムが客観的に見えますから
それが自分の評価に分かりやすくて、タイムが縮めば頑張っているなと分かります。
でもダンスなんかの場合は客観的評価は難しく、人にどうみられるかがポイントになるわけですから、
その点は他の人に対しての承認欲求になってしまうのかと思います。
客観的に見るには時間や日数みたいに自分で評価できる数字みたいに残せるものがオススメです。
何日続けたとか
大人になるのなかなか難しいですが、
そもそも、誰しもが承認欲求を持っています。
誰かに認められたい
すごいねって言って欲しい。
かっこいいね。かわいいね。
あー褒められたい
子供の頃から大人になっても
仏教的に考えてみると
やはり孤独に関係しているのではないかと私は思います。
お釈迦様も悟りを開いたのちに
誰にもその悟りを語ろうとしませんでした。
どうせ誰に言っても分かってもらえないだろうと
そこで梵天勧請(ぼんてんかんじょう)され
皆に悟りを説き始めたわけです。
誰しもが孤独を抱えて生きています。
しかし、私たちはご縁、出会い、いのち、をいただいて生きています。
無数のご縁をいただきながら、実は繋がって生きているんです。
誰しもが孤独を抱えているから
誰しもが私はここにいるよと、褒められたい、感謝されたいと
なるわけです。
それを埋める事ができるのは人間として生まれてきた苦しみ、悲しみを抱えた心と心が触れる時です。
だんだんと難しい文章になりまして申し訳ありません。
最後に
チワワさんも大人になってもダンスに打ち込むその姿が素晴らしいと思いますよ。
またご相談ください。
質問者からのお礼
田中博之さんへ
回答いただき、ありがとうございます。
田中さんのアドバイスが、染みるような感覚でした
これから、また山に行ってきます。
エネルギーもらってこようと思います
田中さんも、水泳楽しんでくださいね!