異常なほど認められたい
私は幼い頃から特技があり、褒められて育ちました。
そのせいか昔から自分は人と違うと思っていたと思います。しかし、性格面ではコミュニケーションがうまく取れないため、周りと馴染めずに劣等感がありました。
大人になり少しは改善されましたが、自分は周囲とは違うというプライドの高さと、周りにはどうせ受け入れられないという劣等感が混在しています。
ここからが問題なのですが、そんな感情を持っているせいか、人によく見られたいという欲が人に比べて異常に強いです。
頭がよく思われたい、すごい人間だと思われたい、でも同時に妬まれた経験があることと人目を気にするので、目立って嫉妬されたくない、ナルシストだと思われたくない、など複雑です。そのため至る所で生き方に矛盾がある気がします。
よく見られたい気持ちは、例えば自分がよくしてしまうのは、自分を他者目線で俯瞰し、物事を非常にうまくやれている自分を周りが賞賛するのを想像する、というところにまで来ています。当然現実世界ではそこまで上手くやれていません。
このかっこよく見られたいという気持ちは小学生時代からありました。
一番理解できないのは、ピアノを触ったこともないのに目立つから、周りから称賛されるから、というだけの理由で音楽祭のピアノ係に立候補したことです。
現在、承認欲求を満たす以外に自分の仕事をやる理由を見出せず、かなり行き詰まっており、人間的に成長したいのにも関わらず自分の至らなさと志のなさ、驚くほどの人としての中身の薄さに打ちのめされています…
現在の自分は自分の力で希望を持って進むことが到底できそうにないです。
今後、どういった心がけをすると人として成長できたり、生きる指針を見つけられるでしょうか?
未熟な質問で申し訳ございません。何かアドバイスをいただけると幸いです。よろしくお願いします。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
意識するのは我の仲間
まず、自分の状況を自分で把握しましょう、仏教的に。
我が煩悩の親分で、我があるから怒ったり欲が出たりするので、我を減らすほどうまく行く、我を張るほどうまく行かない、というのは分かります。
この我に仲間が二人います。慢と浮つきです。
慢は直接的な「比べ意識」です。自分が相手より上か下か同等か、と。これも気にしないほど、慢が少ないほど楽です。
最後の一つは浮つきで、これは分かりにくいですが、緊張したり、慌てたり、自意識過剰という感じの、なんか人目が気になって心身が適切に動かない心の働きです。
あなたの場合は、幼少期にいきなりできるものがあって人目を集めて、それ以来、何となく人目を気にするのが癖になっているかもしれません。
でも他人も、自分のことが気になるだけで、本当は人のことなんか気にしていません。目の前にいたらいろいろ接点が出ますが、離れたらそれまでです。みんな自分のことだけで手いっぱいです。自意識過剰を少しずつ減らしてください。
そうすると慢も減ります。比べたって仕方ありません。自分は自分ですから。
そうすると結局、我が減って楽になると思います。
あなたも尊い存在であり皆さんもそうです
拝読させて頂きました。
あなたは人からよく見られたいという欲が人に比べて強い、つまり承認欲求がとても強いのですね。そのことでいきづまっておられ悩んでいるのですね。詳細なあなたのことはわからないですが、あなたのそのお気持ちとても伝わってきます、あなたのお気持ちを心よりお察しします。
人は誰しも自分を受け止めてもらいたい認めてもらいたいその中で安心して生きていたいという気持ちはあるものです、その気持ちの強さは大きさは違いがあるかもしれませんが大なり小なりあるのです。あなたはその思いが強いのかもしれませんね。
ですがあまりそこにこだわらなくてもいいのではないでしょうか、ゆっくりとひとまず一息ついてあなたの心を楽にしてみましょう。こだわってとらわれている心を解放してあげて下さいね。
あなたは今でもしっかりと生きておられるのです。あなたは沢山の方々やご縁に恵まれて受け入れられて生きているのです、どうか安心なさって下さいね。
あなたが尊い特別な存在であるように、周りの方々もとても尊く大切な存在ですからね。
あなたがこれからも皆さんとお互いを尊重し合い思いやり様々なことを分かち合い、心おおらかに豊かに生きることできます様に、皆さんと一緒に心から幸せに生き抜いていかれます様に切に祈っています。至心合掌
そしてあなたを心より応援させ頂きます。