試してくる友人と、己の在り方回答受付中
お世話になります。
私の立ち振る舞いや在り方について、ご相談させていただきたく存じます。
基本的に友人達とは狭く深く、
10年・20年と仲良くさせていただくことが多いのですが
たまに、こちらを試すような行動をとる人が10年に1度くらいの頻度で現れます。
試してくる友人にも親友とも呼べる友人がおりますが、私だけにそういった態度を取ってしまうようです。
(試してくる女性たちは幼い頃に精神的に深い傷を負い、繊細で、それを隠そうとして態度や発言が強くなっているような印象の方々です)
私が彼女たちの甘え?を許しすぎてしまったのでしょうか。
今までたくさん相談に乗り気持ちに寄り添ってきたつもりですが、最終的に舐められ?酷く甘えられて?てしまいます。
ほかに対等に仲良くしている友人もいるようですし、自分の関わり方が間違っていたのだろうと考えています。
私も最後まで根気強く話を聞き、寄り添えたら良いのですが、年々強まる圧や要求・期待に、ネガティブな影響を受け心身を病んでしまいます。
結果的にフェードアウトしてしまうので「いなくなるなら初めから優しくしないでよ」と彼女たちも思ってしまうのでは、と申し訳なくも感じます。
今後愛情に飢えた繊細な友人への普段の接し方や、相談に乗ったりする際に心がけておくべきことなどございましたらお教えいただきたく存じます。
いや、自分がネガティブな影響を心身に受けやすいとわかっているのなら強制的にでも関わりを断つべきなのでしょうか…根は悪い人たちではないのですが…
全ては写し鏡で、私が彼女らを心の奥底では舐めていた結果なのでは、とも思い始めてきました…
他者との、自分の在り方に迷いが生じています。
自分の中でもまとめきれておらず誠に申し訳ございません。
御回答賜りますようお願い申し上げます。
30代既婚子無し。毒親持ち。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人の表現の在り方には上手と下手がある。
拝読させていただきました。
答えから申しますと。
「Jane Doeさんに勝らない相手が自分(相手)に腹立てているだけです。」
これが至るところの真理です。
Jane Doeさんは感受性が豊かで、尚且つ聡明であることから相談などもしやすいのでしょう。しかし友達や同年代の人たちからすれば納得できるところが多いからこそ、自分の心に腹立たしくなっているだけですね。いわゆるそれが嫉妬というものです。
これが"もし"Jane Doeさんが心理カウンセラーなどの資格をもっている場合なら、相手は不思議と素直に受け入れ嫉妬などが生じにくいものです。
一般でありながら、聡明かつ明確かつ適切な言動を示すことに、相手は勝らないことがやがて「わたしは上から目線で思われているのかな?」「わたしは馬鹿と思われているのかな?などいろいろな心情が後々に萌芽されていくことと思います。
私は僧侶の身分なゆえに目上の方々も含め、素直に聞く耳を持ちます。それは僧侶という資格や名称や格好からの先入観が嫉妬を生ぜさせず、相手との距離感をほどほどに取れているのでしょう。
私も友人と話すときに気をつけていることは、「仏教ではどうなの?」と聞かれない以上は答えることはせず、「自分はこうである」と答えます。
また、相談に乗られた場合だと自分の意見が相手に意中に的しているときは、友人が嫌がることも知っています。だから私はいつも「他人を比喩して答えを出す」ようにしています。
例えば偉人や、大物人物などの言葉(名言)を借りて、伝達するようにしています。そうすると、聞き手は「そんな風に考えることができる」「この悩みをこのように受け取っていけば安らいでいく」などなど、素直に意見を受け入れてくれます。
わたしの寺院のホームページに「観音だより」という新聞をPDFで閲覧できます。
仏教観点から経典の内容をいかに現代の人々に分かりやすく素直に受け入れてもらえるように多くの偉人の言葉を借りながら説いています。
また参考にしてみてください。
合掌
ご質問ありがとうございます。
私もハスノハで回答しておりますが心がけていることは解決できなくてもいい、正解を書けなくてもいい、質問を読みましたという回答だけでもいいということです。
いい答えができなくても相手の相談を聞くだけで100点です。
そのように思って自分を褒めてあげてくださいね。
写し鏡ということはあるかもしれませんね。
愛情に飢えているのは自分も同じなのかも。
同じ目線の高さで接することができたらいいかもしれませんね。