フラッシュバックする暴言の記憶への対処
過去のいじめやパワハラや差別で受けた暴言のフラッシュバックに悩んでいます。
特に、「他人(健常者)にとっては努力次第で解決可能だけど、私には病気や環境故に叶わない変えられない事」をなじられたり嘲られたりした、暴言の記憶が苦痛です。
特に、普通車免許を持てないことを、就活先の面接官から「身だしなみを整えるのと同じくらい大事な事ができないのか」と。実生活でも困ってる事なのでトラウマです。
ほんのわずかなきっかけで突然思い出されるので、予防は難しいのでしょうが、せめて思い出す度に凄まじい怒りを感じずに済む方法が何か欲しいです。
医療的心理学的アプローチはほぼ網羅して、随分楽になった状況でも、まだ残っている苦しみ(煩悩)です。
フラッシュバックに振り回されないために、私には何が足りないのでしょう?
お坊さんからの回答 1件
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そばに仏様がいてくださること、仏様の声を聞き優しさに包まれて
プロフィールも読ませてもらいました。受けた暴言や傷はずっと深く傷んだままなのですよね。時間が経っても、その時の状況や表情、音声となって蘇ってしまい、怒りや悔しさで許せない気持ちになりますよね。あなたの心がずっと悲しみ続けているのでしょう。
人は自分中心の考えをなかなか変えられず、そうならない相手の方が悪いと叱責するけれど、相手だけに向けるのではなく補い合いながら、自分にも相手にも優しくできれば良いのですけれどね。それが難しいのも、また人間。自分の欲(感情)が先にきてしまいますね。
人間の中に埋もれている私たちは、周りから見て、出来る人と出来ない人に分けてしまいますが、仏様の目線はどの命もかけがえのない 誰のかわりにもならない、特別なたった一人の「いのち」であります。そしてその「いのち」を大事に想ってくださり、素晴らしく輝いていると慈しんでくださる。
私が泣いているとそばで抱きしめてくださり、私が嬉しいと仏様も微笑んでくださる。私が苦しいと大丈夫だと味方してくださり、私が迷うと仏に任せよと頼っていける。
人の心はころころ変わってしまいますが、仏様のお心はずっと変わることなく、この私と一緒に生きてくださいます。
あなたのそばにも仏様がいてくださること、仏様の声を聞いて仏様の優しさに包まれてください。私もそうして、何とか生きてこられました。信仰はそんな心の拠り所なのです。
あなたの心にも、仏様をお迎えしましょう。
質問者からのお礼
中田様、ありがとうございます。
こんなにも優しい気持ちの方に自分の心を受け止めてもらえて、感謝の思いが溢れてきました。
仏様も寄り添ってくれると信じていこう、と思えました。