強い心が欲しい
ご相談いたします。
常に漠然と死にたい気持ちが心にあります。些細なことでその気持ちが爆発して涙が出ることもあります。
過去にはいじめを受けたりつらい経験をしたこともありましたが、いまの自分は不幸な環境にいるとは思っていません。
それでも自分の傷つきやすさに生きていくことの難しさを感じます。
子供や動物虐待の悲しいニュースを見たり、道で車に跳ねられ死んだ動物を見たり、友人や他人の無神経な言動だったり、
世の中に見たくないこと聞きたくないことが溢れすぎていて
死にたいというよりも生きていけないような気持ちです。
甘えている自覚はあります。世界中の人に優しくされなければ私は満足できないのか、と情けなくなります。
芯の強さ、心の強さはどうしたら養えるのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
失礼いたします。
拝読させていただきました。
maさんはアンテナ、センサーの感度が非常に鋭いのだと思います。
世の中には酷いこともたくさんありますが、同等に良いこと優しいことも多くあります。しかし、酷いことや悪いことが持つ引力に人間はめっぽう弱いですし、また敏感に反応してしまうクセがあります。
ゆえに社会は概ねその引力に蓋をしようとします。
だからみんなには見えていないような状況が作り出され、その中で自分だけがそこに引っ張られているような感覚になってしまいます。
その過敏さに、消えたくなる・存在していたくなくなるというのは、
“社会的に見れば”間違いなのかもしれませんが、人間という心や意思を論理立てて持つことができる我々にとっては決して間違った反応ではないと思います。
実際、世の中酷いことは多くありますし、心ない言動も目に着きます。
しかしそこにフォーカスできるのは「優しさ」や「慈悲」があるからです。
何かの事件をニュースなどで目にしたときに、憤りや悲しみを感じるとします。
その際に一般的には「罪を犯した」「法律を破った」「人をあやめた」という表層的な見出しに意識と感情がいくのですが、maさんはその被害者の目線をトレースできるほど敏感に察知しているのではないかと思います。
人の無神経な言葉に反応してしまうのもその一環では?
つまりその言葉を叩きつけられた側の感情や境遇を想像できてしまう。
それはほとんど、お釈迦さんや観音さんの目線と言っても過言じゃないかもしれません。
そんな視点で世の中が見えておられるので、
それは決して「甘え」ではないように感じます。
優しくされなければ満足できない...のではなく、
「じゃあ、どうすれば優しさとかいたわりを表現できるだろう?」と
思考をスライドしてみるのが良いかもしれません。
おそらく芯はすでに心の奥底に伸びています。気付いてないだけ。
全身全霊かけなくても、ちょこっとで良いです。
気づかないうちに芯を自覚するかもしれません!
質問者からのお礼
通勤の電車の中でつい涙が出てしまいました。
うまく言葉にできず歯痒いのですが
私のために、こんなに優しい言葉をくださる方がいらっしゃることに救われました。ご相談して本当に良かったです。
有り難うございました。