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得た情報の「捨て方」について

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有り難し有り難し 21

初めての投稿になります。
私はSNS、特にツイッターを毎日貪るように見ています。
もともと他人が発信する情報そのものに興味があって、自分がいいな、共感できるものを見ては自分に留めておきたいと思うばかりで、忘れないようにとつぶやき(テキストそのもの)をツールで保存し、いつでも見返せるようにしています。

ですが、最近ふと見返そうとすると、保存している情報量そのものが多く、見返す以前に整理がつかないことになってしまっているのです。
いざ整理しようと見返すと、こんなのもあったなと、つい削除することをやめてしまいます。

捨てたい、けど捨てたくないと両方の気持ちに戸惑っています。
このような状況に困っている自分を、どうしていけばいいでしょうか。

ご回答よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

この頭は天然の◉REC機能付き

忘れてOKです。
それが真実です。頭は大事だと思ったものだけ記録して、あとは自然に削除しようとしなくてもすたれていっています。
新聞社の社員がみんな新聞の端から端まで全部覚えているかといえばすっかり飛んでます。
舞台俳優が20年前にやった演目のセリフを全部覚えているかと言えば飛んでます。
我々僧侶もあまり読まないお経もド忘れします。
私も大事なものはハードディスクにためていましたが、今から申し上げる3言が真実です。
「みたためしがねえ」
「全部見る時間がねえ」
「全部みてたら仕事になんねえっつの」
次があると思っているから録り貯めしてしまうのですが、リアルタイムで見たものは、そこで楽しんだはずですから頭には漉すべきものは漉されてのこっていますから大丈夫です。
たとえばこの助言も大したこと言っていませんが、肝心なことだけ、要点だけインプットされれば他は用済みです。
先日高野豆腐を買いました。カレールーを爆買いして買って満足、まだ使っていません。
知識も同じです。
爆溜めしても、それは本を山積みするのと一緒。
情報は情報。いくら溜めても知識にしかならない。
知識は、智恵として活用するもの、活用転用してこそ生きたチエとなるのです。
私がここでやっていることも、アタマの中に入っている知識が縁に触れて、思い出されて自然に出てくるので、イチイチ記録は要らないのかもしれません。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます!
内容が滅茶苦茶面白くて笑いながら、泣きながら読ませていただきました。
「3言」「リアルタイムで見たものは、そこで楽しんだはずですから頭には漉すべきものは漉されてのこっていますから大丈夫」ということがすごく身にしみました。
題名の通り、残すことを考えるのではなく、忘れることを怖がらず、頭に委ねてみようと思います。

初投稿でどんな回答をしてくださるのだろうとハラハラしていましたが、悩みが吹っ飛ぶ上に笑い飛ばせるくらい楽しみながら読ませていただきました。
ありがとうございました!

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