心願成就
いつもありがとうございます。
前回、彼との関係が終わってしまい、立ち直りたいと相談いたしました。
そして、温かいご回答をいただき、私は煩悩のかたまりであったのだと気付くことができました。
その後も毎日のように泣いてしまうこともありますが、なんとか壊れそうな心を抱き締めるように日々生活しています。
そんな折、よく行くお寺さんでご祈祷をしていただこうと思いました。
いつもは少し離れたところからお参りするだけでしたが、ご祈祷のときはご本尊の真ん前でお参りさせていただきました。
その際に『病気平癒』や『心願成就』など願いたいことをお寺さんにお伝えしてご祈祷いただくので、私は『心願成就』にいたしました。
ただ、ご祈祷いただいている最中、私は心の中で特に願い事を思い浮かべることはしませんでした。
今の状況の私であれば『彼と復縁できますように』ですとか、もしくは『新しい出会いがありますように』など具体的な願い事を伝えた方がよかったのかもしれませんが、私はご祈祷中『いつもありがとうございます。』ということと『煩悩だらけの私を許してください。ごめんなさい。』ということでした。
ただご祈祷後に御札をいただいたのですが、その際に『願い事が叶ったときにまたお寺に納めてください』と言われ、やはり具体的な願い事を願ったほうがよかったのではという想いが出てきました。何をもって願いが叶ったことになるのかと。
仏様も心願成就と言っておきながら具体的な願い事がないのだと何を叶えればいいのか分からないとお思いになるのでは?と考えたりして、せっかくご祈祷していただいたのに、その機会をちゃんと活かせなかったのではないかと少し不安になりました。
もちろん、仏様に感謝をお伝えするのも間違っていたとは思いませんし、本心に違いないのですが不安になるということは、私は願いたいことがあるにも関わらず、仏様の前で素直になれなかったのかもとも思います。仏様はそんな素直になれない私をどう思われるでしょうか?
煩悩があり、さらに素直にもなれない私。
もしくは素直になれないのは煩悩があるからなのかもしれません。迷いがあるからかもしれません。
仏様はすべてお見通しでいらっしゃるのでしょうか?広いお心で救おうとしてくださいますでしょうか?
私は救っていただきたいと願っています。
許していただきたいと願っています。
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こんにちは。ご質問ありがとうございます。
古代ギリシアの演劇の演出方法のひとつに「デウス・エクス・マキナ」という手法があります。これは劇の登場人物がにっちもさっちもいかなくなったところで、天から神様がするすると降りてきて、「おまえはあっちに行け」「おまえはこっちに来い」「おまえはそこでじっとしていろ」などと交通整理をしてくれ、全てが解決する、というものです。
現実の世界でも「デウス・エクス・マキナ」があったら、楽ですよね。困ったら神様が出てきて解決してくれるのですから。
そのような事がないから、祈りがあるのだと思います。こうありたいという気持ちは大切です。
しかしご祈祷をすれば「デウス・エクス・マキナ」的に、外から不思議な力がかかって、物事が解決するわけではありません。あなたが「こうありたい」という気持ちを大切にしてあなた自身でどう解決するかなのです。ご祈祷中、願い事の事について考えていても、考えていなくても、あなたが実際に行動しなければ結果は同じです。
あなたが、悲しい気持ちからどう立ち直るのか、それを仏様はきっと見ていて応援していますよ。
質問者からのお礼
御礼が大変遅くなり申し訳ございません。
ありがとうございました。