人は何故苦しみが無いと幸せになれない?
良く苦しみは、幸せのプロセス
と聞きます
自分自身、今いろいろな事で
悩み苦しみ、死にそうな思いをして
もがき苦しんでいます
よく自分の心を軽くしようと
YouTubeなんかで、仏教や教えの
動画を見たりします
そこで、良く言われるのは
苦しみがあるから幸せを感じれる
と言う内容です
そこで思うのが人間ってめんどくさい
生き物だな
と言う事です
楽しい事や幸せな事を長く感じていると
飽きて苦しみたいと思う様になる
それを乗り越えた先の幸せが
凄く楽しい、、、
ですが、単純にずっと幸せでも、
ずっと幸せと
思える状態なら、苦しむ必要も無いですよね?
ではなぜ反対がある世の中なんでしょうか?
あの世は永遠の幸せだと
聞いた事があります
生まれ落ちて修行するのは
あの世で、永遠に生きていく
知識をこの世に降りて勉強すると
聞きました
不幸を体験するから人に優しくなれる
強くなると言いますが
ずっと皆が幸せなら、そんな事
経験する必要も無いですよね?
この考え方は、幸せだけの世界観で
狭く虚しいですか?
でも皆が皆しあわせです
ですが今僕はとても苦しいです
これを乗り越えた先に幸せは
あるとは思います
法則を信じているので
ただこの法則自体に何かとてつもない
虚しさを感じます
何か教えを考えを頂けたら幸いです
よろしくお願いします
統合失調症です。
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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苦しみを手放せば
拝読させて頂きました。
あなたの疑問を読ませて頂きました。あなたがそう思われることとてももっともだと思います。あなたのお気持ちを心より受け止めさせて頂きます。
確かに辛く苦しいことを乗り越えた後はありがたみを感じて幸せを感じることはできます。それだけかけがえのないことだからでしょうね。苦しみがないと幸せを感じないということも一理あるでしょう。
とはいえあなたがおっしゃる通り本当に幸せであれば苦しむ必要はありません。ですから苦しむような原因を断てば穏やかに安心して幸せに生きることできます。
その苦しみを断つにはどうすればいいのか…苦しみとは私達の心が作り出しています。
貪り・怒り・愚かさ・怒り・うらみ・憎しみ・執着・欲・殺意等私達の煩悩です。
あるがままに生まれ・生きて年を取り老いていくこと・病になること・そして死んでいくこと。ものごとにとらわれずに、争わず奪い合わずにあるがままに受け入れていくことができればその苦しみはなくなるのではないでしょうか。
そして悩みや苦しみから救われて何の憂いもなく円満生きることができるつまり幸せに生きられると思います。
世の中や世界を見回りてみましょう、いかがでしょうか。誰もがお互いを尊重し合い奪い合わず分け合えば争いも無くなります。土地や領土も財産も食べ物もみんなで分かち合っていけば幸せに生きることはできるのではないかと思います。
誰もが亡くなっていきます、ですから今手元にあるものすべては借りものです、自分のもののようでどれ一つとっても永遠に自分のものなどありません、ですから執着を手放せばいいのです。財産も地位も権力も全て仮のものなのです。
仏教では「諸行無常・諸法無我・涅槃寂静」と言いますよね。
あなたはどうその真理を受け止めますか?
あなたが真理を信じて心から安心し円満に幸せに生き抜いていかれます様に切に仏様や神様やあなたのご先祖様祈っております。至心合掌
ロウソクのロウが溶けきれば、炎も消える
こんにちは。亀山純史と申します。
たとえ話ですが、ロウソクはロウを溶かしながら燃え続けます。このとき、ロウは苦しみや辛さ、炎は幸せと捉えることができるのではないでしょうか。そして、ロウが溶ければ溶けるほど、炎は大きく輝きます。しかし、最後にロウがすべて燃え尽きると、幸せの象徴である炎も消えてしまいます。
つまり、私たちが幸せと感じるのは、苦しみを知っているからです。同様に、苦しみを感じるのは幸せを知っているからこそです。そうすれば、幸せだけの世界も、苦しみだけの世界も存在し得ないのではないでしょうか。
だからこそ、私は今の状況がロウソクのロウにあたるとしても、その中に生きる意味を見いだし、生きていきたいと思っています。
以上が私からの回答になります。少しでもお役に立てれば幸いです。
死にたくないという刺激が苦しみの原因
生への執着、自分という個の存在価値への執着が、苦しみの根本原因だと思います。
でも、生きているから幸せを感じるし、自分のプライドが満たされたときに幸せを感じます。
つまり、苦しみというお皿の上にしか、幸せという料理はないのです。
なお、仏教では、悟りを開いて生への執着を手放せば、輪廻転生の繰り返しから解脱でき、生き物であることを卒業できると考えられます。
苦しみだとか幸せだとかに右往左往する必要がなくなる「成仏」や「涅槃(平和なる滅び)」。
成仏や涅槃に達していない、悟っていいない私達生き物は、苦しみのお皿の上の料理に固執している状態なのです。
質問者からのお礼
皆様のご意見よく理解しました!
ありがとうございます