この世界の残酷さが苦しい
この世界に本当に仏様の慈悲があるのなら、どうして世界中の残酷な営みが今も続けられていて、全ての生命の恒久的平和が保証されないのでしょうか。
結局、生き物として生まれてしまった以上は飢餓や戦争、弱肉強食の世界に放り込まれるのが殆どで、私のように平和で衛生的な生活ができるのは一握りです。いつかはこれをお返ししなければならないのは良いのですが、この世界の苦しみを肩代わりするのは恐ろしくて嫌だと思ってしまいます。奪い合いでしか存在を保てない物質世界にもう産まれたくないのですが、世界中の残酷な営みは止まらずこれからもっと加速するだろうことを考えれば考えるほど、この世界には神も仏もおらず、ただこの地球が無くなるまで残酷な営みから逃れられない無限地獄でしかないと感じて苦しくなります。
どうしてお釈迦様はこの世界を肯定できたのでしょうか。人間でなくとも、野生動物の過酷な弱肉強食、遡れば隕石による避け難い絶滅。それなのに生き物はまだ生きることを選んでしまっている。私もまだ、「今死ねば絶対に御浄土に行くことができる」と誘われても少し躊躇してしまいます。だから私は御浄土には行けない。それもまた苦しい。
自分の生活に集中しようとしても、希望を持とうとしても、それが容赦なく砕かれることもあると知っている以上、難しいです。災害や戦争、犯罪によって無慈悲に未来を奪われた人達の中には、私なんかよりもずっと賢くて清らかな人だっていた筈です。安心して生きられるかどうか、命を全うできるかどうかなんてどこに生まれるかの運でしかない。宗教とは、物質的な苦痛に耐えきれない人間が頭の中で作り出したものに過ぎません。私も本当はお浄土の存在を信じたい。けれど「もしお浄土があるのなら、もし本当に神仏の救いがあるのなら、どうして世界は今も残酷なままであり続ける?」と思うと信じることができません。破滅的なものばかりが真実のように思えてしまいます。
私はただ、安心して生きていたい。誰からも傷つけられず、災害や戦争に巻き込まれず、死んだらちゃんと安らかな場所に導かれる。そういう「確固たる」保証が欲しいだけなのです。ですが今の世界では、残酷な中に放り込まれる確率の方が極めて高く、人間の行き詰まり感からしてこれからの世界はより残酷な弱肉強食の世界になるでしょう。次に生まれるときは、ひたすらに残酷な環境の中なのでしょう。
苦しみが避けられない「生命」というシステムを心の底から憎悪し、「存在していたくない」としか思えない。 否定されるのが当たり前すぎて何もする気が起きず破滅思考気味。
お坊さんからの回答 2件
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絶望だけでない、優しさにも出会って。あなたも大切な一人です。
全てのいのちに仏様の慈悲が届いているのに、感謝しながら人に愛を向けること無く。自分の都合のいいようにだけ受け取って、自分の(自国)利益しか考えず、主張ばかりを正当化し、他を傷つけてでも攻撃し奪っていく。そんな世の中を動かしているのが、我々 愚かな人間なのでしょうね…。
毎日 誰かが涙し、血を流し、命が失われていく。この瞬間もどこかで。本当に悲しく、情けなく、そして無力な私だなと思い知らされます。
あなたがおっしゃるように、苦しい世界を生きなければならないけれど、この現実に心を痛めながらも丁寧に生きようと努める人だっているのです。仏様の慈悲をちゃんといただいて、その喜びの中で 誰かに愛を向けていける人だっています。誰かの優しさに、温もりも感じていける世の中でもありますよ。
私は、そんな人たちにも出会ってきました。だから私自身も、救いを求める手を掴んでいきたい。こうしてハスノハで、もがく あなたを感じながら、絶望だけでない 誰かの優しさにも出会ってほしいなと、いつも あなたを想っています。
人間には愚かさもある。どうしようもない生き物です。だけど、それに気づいたときに、ちゃんと学び改めていける人だっています。仏様の慈悲は、そこまで見抜いて、黙って私たちを見ておられます。仏様に報恩の心で生きていきたい、それが出来るのも人間なのです。
あなたも、私も、仏様の慈悲に包まれていますよ。安心の中で、恩に報いていけるよう、この命 大切にして参りましょう。誰かの命もまた同じように大切に想っていきましょう。
いつも、大切なことに気づかせてくださり、ありがとうございます。
分け合えば余る
拝読させて頂きました。
あなたが現実世界を見て大変悲観なさっておられることを読ませて頂きました。あなたのそのお気持ちとてもわかる様に思います。あなたのそのお気持ち心よりお察しします。
相田みつをさんの言葉「奪い合えば足らず、分け合えば余る」この言葉をもう一度思い出してかみしめて下さい。
私達一人一人がその様にお互いのことを尊重し合い思いやり分かち合えば争いや奪い合いはなくなります。本当に幸せに与えられた命を共に生きることができます。
仏様や神様やご先祖様はそんな私達のことをお導きなさって下さいます、お救いなさって下さいます。
誰かではなく、自分が先ず自分や周りの方々を大切にして生きてみましょう。
あなたがこれからの未来を大切な方とお互いを思いやり尊重し尊敬し合い、心からおおらかに豊かに幸せを皆さんと分かち合いながら生きることできます様に切に仏様や神様やご先祖様にお祈りさせて頂きます。そしてあなたを心より応援させ頂きます。
質問者からのお礼
自分の命を大事にしようとしても、誰かの優しさに心温まる瞬間があったとしても、いつかはそれも失われ、奪われる。そして生き物の「生きよう」とする作用は弱肉強食の奪い合い殺し合いにしか辿り付かない。だから残酷な営みを生み出せる人間がこの世界では大成するのです。そもそも微生物が脳味噌を得て意識を得てしまったのが間違いだったのです。
仏様が私たち人間と似たようなかたちをしているのは、結局は仏様も人間の想像の産物でしかないからです。それとも、野生動物には仏様の慈悲は届かないのでしょうか?私はただ、残酷な営みの中に生まれたくないだけです。けれど、この世界の残酷さからは温かな慈悲に満ち溢れた世界の存在を信じることがどうしてもできません。
人間は今すぐにでもこの世界を破壊できる力を持ってしまいました。その最悪の瞬間を、仏様は見過ごすのでしょう。隕石衝突で恐竜が絶滅したとき、何も出来なかったように。
未来のことを考えると、どうしても暗い気持ちで埋め尽くされます。