いつもお世話になっております。私には、15年近く縁がある 神社があります。 しかし2年前、私は戒名を頂き正式に仏弟子となりました。 この神社好きなのですが、お参りしても問題ありませんでしょうか。 仏教徒が神道をはじめ他の宗教の神様に祈ることは、仏教への 不敬にあたりますか? 神道サイドの見識も調べたら、ある神社の宮司さんが、 「神道は他宗教の人を拒まない。だがそれは、来る人に神様への 敬意があってこそ。神社に来て自宗教の優越を主張したり、 大声で自宗教の経などを唱えるのは神様にも他の参詣者にも 失礼」 とおっしゃっていました。 仏教サイドではどうなんだろう?他の宗教の神様に感謝する、 祈るというのは。と思っています。 追伸 認知行動療法が先に進みました。 「祈願寺で護摩が始まる直前のほぼ満席の時に私の隣に 知的障害者が座り、恐怖で震えが止まらなかった。息が苦しく なった」 と心理士の先生に伝えたところ、 「恐怖感が出てきてくれたおかげで、前へ進める。今までは 怒りが強く、怒りが強いと進めない。恐怖が出てきたのは 却ってよかった」 と言われました。 「環境的な要因は大きい。ひょっとしたら、お不動様の おかげかもしれない」 という結論になり、昨日、この祈願寺にお礼参りしてきました。
私は仏教の実践をより真剣に取り組むようになってから、色々なフィクション作品を観たり遊んだりすることが難しくなってきました。なぜなら、それらを常に分析してしまい、「戒を破っているのではないか」「罪を犯しているのではないか」と心配になってしまうからです。多くの場合、自分が考えすぎ、複雑にしすぎているのか、それともこれらの思いに相応の道理があるのか、私には分かりません。 特に気になるのは、仏教の用語、思想、またはイメージを、不適切あるいは不敬に感じられる方法で使用しているメディアに触れるときです。例を二つ挙げます。 1) アニメ・漫画『呪術廻戦』 この作品には多くの仏教的言及があります。例えば、仏教の印、用語、引用、概念、さらには歴史上の仏教人物の登場です。密教の印が多用されていると聞いたから、この作品を避けています。印は阿闍梨から学ぶべきものであり、呪術廻戦を観たら越三昧耶戒にならないかと感じています。また、あるキャラクターが「天上天下唯我独尊」の言葉を言ってから人を殺す場面など、仏教に対して不敬に思える描写もあるそうです。 2) ゲーム『原神』 このゲームの世界内では、宗教としての仏教は存在しません。しかし、多くの仏教的言及が見られます。主人公にも敵役にも同様です。私が主に懸念しているのは敵役です。例えば、ある悪役のテーマソングには、龍樹菩薩(英語: Nagarjuna)の『中論』(重要な仏教文献)からの直接の引用があります。これにより、その文献の教えがその悪役に擁護されているように見えるかもしれません。同じ悪役には、「左道的勝義尊」や「左道の真諦者」といった、仏教概念を言及した様々な称号もあります。ここで「勝義」や「真諦」は、非常に神聖な仏教概念です。全ての仏教的言及が悪いキャラクターに使われているわけではないから、葛藤しています。いわゆる良い、あるいは中立的なキャラクターにも仏教の言及があります。例えば、龍樹菩薩の『中論』は、ゲーム内で「Nagarjuna」と名付けられた別のキャラクターによっても引用されており、そのキャラクターは魔物と戦う戦士として描かれています。 もしこんなメディアを観たり遊んだりしたら、それが誹謗正法や誹謗正法を賛成したり促したりすること、あるいは罪を犯すことにならないか?私は多くの不確かさを感じており、とても不安になっています。
お坊さま方は、目に見えない ご神仏様方を どう信じていらっしゃるんですか? 何かご経験されたから 信じる様になったんでしょうか?
質問失礼します。 私は最近、仏教について興味を持っております。まだ、何も知識はありませんので失礼な発言がありましたらご容赦ください。 本題に入りますが、仏教に興味を持った理由としては私がとある活動をしていてその際に偶然仏教について考える機会がありました。それから興味深いものだと感じAIが紹介してくれたため「お坊さんがこたえるお悩み相談サイト」に出会うことが出来ました。相談内容については信仰や宗教等についての考えをお聞きしたいです。お手数お掛けしますがご回答お待ちしております。よろしくお願いいたします。
日本仏教の概観を学びたいのですが、お勧めの書籍があれば教えてください。 いわゆる教科書的な「何年に誰が何をした」という事実の羅列ではなく、「なぜその時代にその思想が必要とされたのか」という歴史的背景と、「前の時代の思想をどう継承・否定して発展したか」という連続性を重視した本を探しています。 具体的には、以下のような文脈で理解したいと考えています: ・社会情勢との関わり: 例えば、戦乱や飢饉という絶望的な状況下で、なぜ浄土真宗が衆生の救済として爆発的に受け入れられたのか、といった「需要と供給」の視点。 ・思想のアップデート: 師匠の教えをどう修正したのか、あるいはあえて古い時代の思想を掘り起こした際、そこにどのような時代的要請があったのか。 「点」としての知識ではなく、古代から中世、近世へと至る「線」としての日本仏教史が俯瞰できる、初学者向けの(できれば文体も読みやすい)本があれば、ぜひご教示いただけると嬉しいです。よろしくお願いします。 (AIに書いてもらいました汗) --- 日本の仏教史ではないですが、佐々木閑先生の「仏教の誕生」はとてもわかり易かったです。 あれくらいわかりやすいといいな、と思ってます。
趣味でビデオゲームをプレイしている仏教徒です。 信仰に関わる点で気になることがあり、お坊さんのご意見をいただきたく投稿させていただきました。 一部のゲームには、進行状況をセーブするために「神社で手を合わせる」、あるいは報酬を得るために「神像を拝む」といったゲームメカニクス、さらにはクエストの中で「架空の神に供物を捧げる」といったものが含まれています。 これらはあくまでゲーム内の仮想世界での操作であると理解していますが、仏教徒として三宝への帰依を考えたとき、こうした行為がその帰依に反することになるのか、戒を破ることになるのか、悩んでおります。 ご指導いただければ幸いです
お世話になっています。今現在、世界情勢、環境的、経済的その他、何をとっても明るい要素がありません。いつ戦争が起こっても不思議ではない状況です。ノストラダムスの予言の1999年の時より現在の方がよっぽど終末感があります。仏教には末法思想があると聞きました。ずばり今現在は、末法の世なのでしょうか?また仏教で語り継がれている末法の世とは具体的にどんな状態なのでしょうか?回答おねがいいたします。
いつもお世話になっております。 この度、法然上人の救いの仏教の一考察の草稿を書くこととなりました。 しかしながら、卒業論文を書いたことがないのでどのようにすればよいのかが分かりません。 アドバイスをお願いします。
私は最近仏教の教えを知りたいと思うようになりました。ですが、インターネットで調べてみても、出てくるのが(おそらく)カルト教団のものであったり、信頼性の低い民間のサイトのものであったりと、情報の正確性の高いものを探すのに苦労しています。 そこで、比較的信頼のおける書籍を探すことにしました。 お寺に直接うかがって法話を聞くことも考えましたが、私は学生の身分であるため、お布施をするだけの稼ぎもなく、時間もありません。 また、家族は、宗教そのものに対してアレルギー的抵抗を持ち合わせていて、宗教の話はすぐにカルトと結びつけて考えてしまうので、私がカルトにハマっていると誤解されるのは避けたいのです。このサイトのzoom相談も、金銭的な負担や家族が途中で入ってくるかもしれない可能性から、利用することができません。 書籍の好みとしては、私はなるべく学術的で中立的視点のものが好みですが、まずは入門書を買いたいと思っています。 なにか良い書籍や文献をご存知の方は、教えて頂けると幸いです。
こんばんは。いつもお世話になっております。ありがとうございます。 仕事を辞めてから9ヶ月経ちました。 経済的には厳しいですが、時間的なゆとりはある現状です。 今日は自分事になりますが、書かせて頂きたいと思います。 就職氷河期の就職でしたが、自己責任論の強い時期でパワハラ的な事もあり、統合失調症を新卒3年目に発症しました。 その後、10年近くのブランクを経て、非正規の障害者雇用で8年半働きました。しかし、また社内での風当たりが強くなり、退社に至りました。 そして今年、早くも48歳になります。 これだけ書くと、自分もそれなりに苦労を重ねてきた半生だったなと思います。 ただ、その一方で、経済力は無いのでここまでパートナーには縁が無かったですが、友人・仲間には大変に恵まれた人生でもありました。 新卒の会社員時代、ボロボロの状況の僕のことを人事部に掛け合ってくれた同期であったり、学生時代の部活仲間、他にも社会人になってからの友人を含め、30年来、40年来の関係が続いている友人も複数人いてくれています。 本当に有り難い事だなと思います 何か今日は少し自分自身の生き様の事を書かせて頂きましたが、最近見かけたあるホームページに、仏教の長年のテーマに「自分自身として生きること」「他者とともに生きること」があると書いていました。 僕も、自分からは逃げられないですが、自分自身として生きて、また他の方達とともにこれからも歩んでいきたいなと思いました。 今日もすみません。また相談とは離れてしまったかなと思いますが、自分の気持ちを書かせて頂きました。 なかなか時代に翻弄されて、生きづらい部分もありますが、皆さまの支えをお借りして生き抜きたいなと思います。 いつもありがとうございます。
こちら(https://hasunoha.jp/questions/76892)で質問させていただいた内容について質問失礼致します。 ご回答のタイトルに「無記」と頂いておりますが、こちらはどういう意味でしょうか。 自分でもウィキペディアの無記の項目を見ましたが恥ずかしながらよくわかりません。 上記のご回答で無記はどのような意味合いで使われているのでしょうか。 よろしくお願い致します。
仏教の思想や教えが、平穏で安定した思考に繋がりそうだと思い、仏教の勉強をしてみたいなと思いました。学校の歴史の勉強で仏像の写真を見たり、観光でお寺に行ったり、仏教やお坊さんがテーマの漫画を読んだ程度の、まるっきり初心者です。 仏教の勉強は、どのようにするのがおすすめですか?怪しい宗教団体や、人やお金を搾取したり騙し取るようなところに引っかかるのが怖いです。 皆様はどのように学び、思考に役立てていらっしゃいますか? 安全でわかりやすい勉強方法や、資料の見つけ方を教えていただけたら嬉しいです。
長年非常に苦しんでいるので教えて欲しいです。 仏教の戒律的なものに日本女性は本質的に悉く逆らう性質に思えてなりません。勿論優れた女性が居ることは実感していますが、多くの女性にこの性質を感じます。女性は仏教を自分より下に見ていると感じます。自分に好都合なら利用するが、逆らえば従えさせるみたいな感じです。男なら仏僧は戒律的に厳しく接するでしょうが、女性に対しては二重基準で接しているような気がしてなりません。仏教は権力から身を守る術も説いていると聞いたことがあります。女性からのバッシングが怖いのでしょうか。とても混乱してしまいます。男にも勿論ひどい人がいますが、それは男としてではなく酷い人間として括ってしまいます。そういう人たちは集まる場所に近づけなければ避けられますが、女性はどこにでも入り込んで目の前だけ見て突っこんできます。同じことを男がしたら仏教は戒律的に厳しく接するのになぜ男女で分けるのかが理解できません。仏教は男女で分けて考えるのでしょうか。人間として同じ基準で見ないのでしょうか。
最近、大乗仏教における功徳と回向をよく考えるのですが、釈尊は慈悲と智慧だと仰っていたと思いますが、原始仏教ではなく現代のお寺様は何が1番の功徳になり得ると思いますか?1番とかを考えるのはあまりしない方が良いとは思いますが、何が良いのかを考えてしまいます。
宗教的な向上心と俗世に希望を見いだせないことがきっかけで出家に興味を持ちました。 しかし、自分の動機が必ずしも高潔ではないことや、師僧を見つけられないことから、出家は自分には無理だと感じています。それでも執着を断つのが難しく、無理だと分かっていながら出家したいという気持ちが残っています。 出家への欲を減らすにはどうしたらよいでしょうか?
こんにちは。 初めて質問させていただく者です。 2つ質問があります。 今年私は高野山で結縁灌頂を受けさせていただきました。仏様と縁を結べたことは大変ありがたいのですが、その後の自分がそれに適う生活ができているか、正しい道を歩めているか疑問です。自分の良く無いところがどうしても出てしまいます。果たしてこんな自分でも仏様との縁を保ち続けることはできるのでしょうか。 また、仏様と一体となったと伺ったのですが、これは即身成仏とどんな関係があるのでしょうか。 初心者の質問で恐縮ですがご回答いただけましたら幸いです。
東日本大震災で多くの方々が犠牲に合いました。その方達は何も悪くないのに、苦しく辛い経験をされ、一方で私は元気で生きています。ガザやウクライナでの戦争も同じです。なぜこのような理不尽な事が起こるのでしょうか。 私には答えが出ません。お坊さんはこの厄災や理不尽な不幸をどのように説明されますか? できれば宗派も教えて頂きたいです。
私は現在アロマセラピストとして働いております。 たくさんのお客様と関わる中で、皆さん様々な悲しみや苦しみを抱えながら日々を過ごされている事を知りました。 お客様の身体の状態を整える仕事をしていますが、身体を整えるには心の健康が何より大切だと思っています。 大切な人を亡くされたお客様の身体は悲しみが抜けず固くなり、何年経っても痛みが楽になりません。 私の技術ではどうすることもできない事が力不足で申し訳なく、もっと心に寄り添えて元気を与えられる人間になりたいと思うようになりました。 悲しみを癒すにはどうすれば良いか考えた時、法事でお世話になった和尚さんが頭に浮かびました。 一般人でも仏教を学ぶ事はできるのでしょうか? また、どのように勉強すると良いか教えていただきたいです。 関西在住なので近くに法話が聞けるお寺を探してみましたが、開催されているお寺が少なく、違う宗派のお寺に聞きに行っても良いのかもわからず行けていません。
自分は今現在、YouTubeを使って仏教を学んでます。 容量が悪く中々、頭に入っていきませんがそれでも摂取不捨の利益を貰うため、仏法は聴聞に極まると言う為、一生懸命話を聞いてます。 ですがそんな中不安な事が1つあります。 それは平生の一念で救われる前に亡くなってしまったらどうしようという不安です。 はっきり申しますと私はまだ阿弥陀仏様に救われてません。 大悲の願船に乗せて貰えてません。 他力信心はダイヤモンドの様に固く誰からの非難中傷を受けてもその心は決して乱れないらしいです。 乱れまくってる自分はまだ難度海で溺れているのです。 後生の一大事はまだ解決してません。 なので現在進行形で仏教の動画を通して学んでいるのですが、その過程で自分が死んでしまったらと考えると不安で仕方がありません。
初めて相談させていただきます。 私は物心ついた時には絵を描き、自分で名前をつけ、その子の服装や出自などの設定を加えていきお話を作るという創作を趣味としているものです。 長年の趣味ですから作り出したキャラクターは数知れず、使われなかったキャラ、途中で飽きて放り出してしまった物語などは数え切れません。 そして創作やキャラの傾向も年々変わります。当たり前ですが中学生であれば中学生が考えたようなキャラが出来上がり、高校生になれば高校生が考えたようなキャラクターが出来上がるのです。 しかし、不思議な事に1人のキャラクターだけは例外でした。彼女は名前は変わらずに必ず私の作品の何処かにひょっこりと現れるのです。彼女の設定を変えた事はありますが、名前を変えた事はありません。私が創作活動から離れても再び戻ってくると彼女の存在があります。必ず私の元に現れるのです。 私は彼女になにかして欲しいという気持ちはありません。恋愛的な好きとも違い、友達としての好きと似ていますが、何か別な気もします。ただそこに居て欲しいと願うばかりです。彼女が居てくれるという事実に涙を流すほどです。創作を長く続けてこんなに愛したキャラクターは彼女一人だけです。 正直自分でも不思議に思うのです。実在している人物ならまだ分かるのですが、自分が作り出したオリジナルキャラクターに対してここまでの感情を持ってしまう事にです。 こういった現象になにか名前などはつくのでしょうか? それだけ知りたいです。よろしくお願いします。