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「仏教全般」問答(Q&A)一覧

2024/12/04

魂のレベルと評価点について

自分は魂にレベルがあると思ってます。 魂のレベルが低い人は極端な事を言えば殺人などの凶悪な事件を引き起こしてしまう可能性がある。 そんな人間が例えば凶悪な事件を起こさずに我慢して人生を終えたらそれは偉業レベルの評価を神仏からされると私は考えています。 俗に言う徳の高い人間になる訳です。 つまり魂のレベルによって徳の積み方は人それぞれ違うという事を私は言いたいのです。 魂のレベルは何十年も生きていれば自分の事なので何となく分かります。 そこで漸く自分が何をする事で徳を積むか理解する事になります。 取り敢えず、分かりやすい例を出しとくと赤ん坊が物を掴まずに立ったとします。 周りがそれを凄いと評価します。 ですが大人が普通に立っててもだから何?ってなります。 評価は魂のレベルによって違うというのはこれと全く同じです。 人生において成長する事は身長が伸びたり、賢くなったりするという意味では殆どの場合、普遍的です。 ですが魂のレベルに限っては全く成長しない人もいるし逆に評価を下げる恐れもあります。 魂のレベルが高い人がニュースで取り上げられる程のスーパースターになったからといっても人間界では評価されても神仏から見ると評価されないなんて事もあると私は考えます。 一概に良い人だから徳が高いと言う訳ではないのです。 前置きが長くなりました。 かくいう私はというと魂のレベルが低いです。 勉強も駄目、スポーツも駄目、社会に出ても使い物にならないし転職ばかり、友達0、恋人0と負のステータスがこんなにも高い訳です。 魂のレベルが高い人は友達が0って事は先ずないし、ましてや恋人が0(今まで居たことがない)という事は考えにくい。 魂のレベルが極端に低いと見た目にも表れます。 この前なんか何もしてないのに警察官から職務質問されました。 魂のレベルが高い人が職務質問なんかされません。 正直、軽い自暴自棄になりながらこの文章を打ってます。 こんな生活をしてるうちに長々と述べた理論に至りました。 私は一般社会から見たらヤバい奴ですが、神仏から見たら今も徳を積みまくってる訳です。

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2024/11/23

本願誇りの私は手遅れ?

自分は今の生活に満足してます。 ですがもう一度人生を送りたいかというと正直微妙な感じです。 人生辛い事もあるし楽な事ばかりもしてられない寧ろ楽な方ばかりに行っても結局そのつけが回ってくるし結局大変なのが人生です。 ですが極楽浄土に至っては私の想像だと永久に幸せな時が流れてるイメージがあり何としても極楽浄土に行きたい願望があります。 自分が死んだら阿弥陀如来様に救われて極楽浄土に行きたいです。 そうすれば生物の苦しみを味わう事なく永久の幸せを手に入れられます。 ですが果たして自分は極楽浄土に行けるのか不安です。 本願誇りと言って全員が救われる訳ではない事を知りました。 それで自分も本願誇りではないかと思い始めました。 飛んでる虫は平気で殺します。 例えば蚊、ゴキブリなど、、。 自分は命は皆平等だと言う事を知ってます。 例に出した虫も好きでその姿で産まれてきてる訳じゃないのに、必死に生きてる命を気持ち悪いから、害があるからという理由で殺してしまいます。 その背景の一つに阿弥陀如来様に救って貰えるから大丈夫という過信をしてました。 殺してしまった虫達はもう戻って来ない。 それに加えて本願に全てを委ねてるとしてたならば自分は救われないでしょうか? 救われない私はどうすれば良いでしょうか? 地獄に堕ちる、苦しい世界に堕ちる事に観念して毎日怯えて贖罪の日々を過ごすしかないでしょうか?

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2024/10/29

何かすがるものが欲しい

こんにちは。以前も二度ほど質問させていただいたものです。 まずは自分の状況についてお話いたします。 自分は重度の身体障害者でトランス男性(肉体:女性/心:男性)です。4ヶ月近く前に母が一緒に住んでた家で自死しました。 母が亡くなった当初より、絶望感は薄れましたが、それでも自分が母を追い詰めたんじゃなかろうかとか、唯一と言っても過言ではないほど心の支えだった母を失ったことに対する喪失感。自分の心と体の性の不一致に関する葛藤。健常者よりも人の手を借りなければ生きていけない現実。 いろんなものに押しつぶされそうで、なかなか気持ちが厳しいです。そこで、すがるものが欲しいです。 新興宗教は玉石混交な感じがするし、俗に言う"アブラハムの宗教"はLGBTQ+に厳しいと聞きましたし、神道もどちらかといえば日本の伝統的で保守的な価値観を大切にしていると聞きました。 ならば、身近な仏教かと思いましたが、体が不自由ゆえ、望むところに行くのにも一苦労でお坊さんの説法を聞きにいくなどのことはなかなかできません。 信徒や門徒になろうにも財施もする余裕がありません。 こんなんでは信仰心があるとはやはり認められませんか? また、なるべくお金をかけずに仏教の宗派や考え方を学ぶ方法はありませんか? 長い文章で申し訳ありません。 よろしくお願いいたします。

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2024/09/27

現実と思い

こんにちは。 いつもお世話になっております。 先日、約2週間ほどタイとマレーシアに行ってきました。人生初の海外旅行です。渡航前にトラブルもありましたが、無事に体調も崩すことがなく日本に帰国することが出来ました。 タイに行った際、いろんな有名な寺院や博物館などに行き、お釈迦様の人生を学んだり、出家や悟りについて勉強したりしました。ある有名な寺院に行き、エメラルドグリーンに広がる屋根を見ながら坐禅を組んで眺めていました。すると、不思議と心のモヤモヤや悩みが一気に吸い込まれているようで、気づけばずっとボーッとしていました。 悩みとかがなぜかちっぽけに思えて、健康がどれだけ素晴らしいものか過去のことを思い出しました。昨年大怪我をしてしまい、毎日辛く、後悔と健康体ではない自分の体に苛立ちを感じました。でもまだ跡はあるけれど少しずつ治ってきた自分の体を見て、治る力があるということ、辛くても乗り越えることができたこと、この力があるっていうことは、怪我は健康状態でなくても、あるいみ私自身の体や心は健康だったのではないかと、坐禅を組みながら感じました。こんな気持ちになったのも初めてで、正直タイに行って、仏教に触れる度、不思議な気持ちになるというか、変な言い方になりますが、お釈迦様はいらっしゃるんだな、仏様は本当にいらっしゃるんだなと強く感じる場面が多くありました。その度にパワーをいただいたというか、僧侶の方にもご祈祷していただき、それ以来、気持ちが変わったといいますか、長旅で心も体も疲れているはずだけど、生きる力がたくさん漲った感じがします。この瞬間が本当に幸せに思え、旅行中何度も思いました。人生、様々なことがあるけれど、この旅行先での最高の幸せに出会うための備えって、健康であることなんだなと何度も感じました。 日本に帰国したあと、待っていたのは人間関係の悩み。生きる力は未だにたくさん漲り、むしろ挑戦したいことばかりでうずうずしています。だけど、友達に気を使うことが辛くて、朝も辛いなと呟きながら出発しました。 明日も会わなきゃ、大丈夫かな、何かあったのかな、ちゃんと話の輪に入れてるかな、常にある友達といると思います。 1人になると、なんでこんなこと思わなきゃいけないんだと我に返ってしんどいな、辛いなと嘆くばかりです。 こういうとき、どのような心構えで過ごしていけば良いのかと思います。

有り難し有り難し 3
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2024/08/17

寝込んで弱気な私。仏様の気持ちが知りたい

 …疲れた。訪問看護師さんが言うには、「頑張りすぎ」だそうです。  夏風邪がまだ万全じゃないのに、「熱下がったから平気!」と イキってデイケアの訓練行った。いつもの倍ピリついて頓服 飲みまくった。次の日動けなかった。  その1週間後の診察。家と病院間、所要時間2時間。往路は 電車で行けたけど、復路で体調最悪。タクシー呼んだ。  その夜。日向灘地震。そんな体を引き摺って、アパートの 入居者さんの食料三日分を買いに、その辺の店をヘルメット 被って走り回った。  さらに次の日、私が住む東京は震度3。震源は南海トラフ 近く。夜通し消火器の場所を探して歩いた。  また次の日。電池やら懐中電灯やらランタンやらでかい 鞄やら、重い物資を買って回った。翌日寝込んだ。  1日寝たから大丈夫かな~って過信して、やっぱり片道2時間 かかるお寺に行って、30分護摩でお経あげた。疲労は確かに蓄積 しており気分変調障害発生。寝込むことに。  きょう、寝込んで五日目です。ご飯をしっかり食べて、寝て います。早く元気になりたい。  私は、祈願寺のお不動様の画像をスクショ、また、お不動様の 木札を括り付けた手足付き抱き枕(作った)に抱かれながら 寝っぱなし。  私は将来、自分の力でアパート経営の経費を稼ぐことを目指して います。A型という働き方で就労しようとしています。これは、 同僚が全員精神や知的の障害者で、現場監督が福祉資格者さんという 職場です。  でも、私は障害者が苦手です。怖いし、一緒にいると彼らの 「波長」に飲み込まれイライラしたりするのです。  でも、働きたければ慣れなければいけない。  私は浄土宗なので、阿弥陀様を本尊としています。 浄土信仰のほかにも、不動尊信仰も持っています。私の夢は、 人間界でこんな体のため子供を育てられない分、極楽往生して 浄土で修行して清らかな体になったらお不動様に嫁ぎ、お不動様の 子供を産み、強い眷属に育てることです。  それほど強い信仰を持っています。  でも…お不動様は、阿弥陀様は、こんな弱い私をどう思ってる んだろう?弱いだけでなく、他の障害者が嫌い!と言って威嚇したり する(最近は深呼吸したり薬飲んだり努力して抑制している)私を どう思って浄土から、宮殿から見てるんだろう?  私は受戒者として、念仏行者として、どうなんだろう?

有り難し有り難し 21
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2024/07/03

お金なんて要らんと貫いた心

神仏への信仰心がとても篤かった医療人のお話です。 その人は幼き時に難病で視力を失い、家督を譲って琵琶法師と鍼師のどちらかを選ぶときに医の道を選んだそうです。親には「二度と家の敷居をまたぐでないぞ」と突き出され、入門先の師匠は「素足に埃が付いたら掃除やり直し」覚えも良くなく、ある日鍼を持たせてもらった時には、患者さんが痛さで悲鳴と怒号のクレーム続出…ことごとく破門。 後がなく生死をかけ岩屋に篭もって断食修行、無我の境地で空腹に転び手にした松葉(鍼のような)と、くるまった落葉を元に、のちの管鍼法を発案。「これなら患者さんも痛がらずに下手な自分でも施せる」心の清らかな和一さん、あれよあれよと出世し果ては将軍の病まで治癒。「よくやった和一よ、褒美を与える。何でも申せ」と将軍、ところが見返りを求めなかった和一先生、儲けは要らんと一旦断るも、当時の上下関係では言語道断。お互いにプライドがゆるさず譲り合わなかった末(流石の将軍もこれで諦めるであろうと、盲目の自分に)「ひとつ、目が欲しゅうございます」と頓智を効かせたところ「わかった」と将軍は引き下がり、しばらくして江戸の一ツ目という地名の土地に、「盲目と老体が遠方まで行かずともお参りできるように」と江ノ島の弁財天様を勧請、老いても尚熱心に参詣を怠らぬ和一検校を自分のケアスタッフとして「そばに置いておきたかった」のもあり、治療院のみならず弟子の養成所と神社まで併設、そして今も残るそうです ハンデがあっても自立して生きていける術を磨く、世界初の視覚障害者用職業養成機関は、実は江戸時代に「盲目となり家を出され、師弟関係も破門され…住むところもお金もなく、仕事のセンスにも恵まれず…只管に神仏に手を合わせ続けた」信仰篤き偉人の苦労の先に日本で生まれた逸話、私は大好きです! 話が長くなりましたが、私も勉強をし指圧師となって施術をしたいと毎日仕事に明け暮れています。元ヤン僧侶さんは「目標が半端ねぇ。もっと効率的にガッツリ考えろ」と喝を入れてくださいました(笑)息を吸うように朝日が昇れば仕事が入ってきて、6月は休みなしで母の日から連勤達成更新中です。今の仕事も好きですが、やっぱり指圧を専門学校で学びたい。 先日お寺でふと仏様から「前へ。只管に進みなさい」と声が聴こえた氣が…私の指圧を喜んでくれた母の為にも入学が叶うようエールをいただけますか。

有り難し有り難し 7
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