今を楽しむには?
何度かこちらで相談させていただいています。いつもお坊さんとの返信の中で、仏教は「今」を基準にするとお聞きしました。
私の中で、今を楽しみたいと思っているのですが、例えば掃除や整理をしているとその当時の書類やノートを見て過去の記憶が返ってきたり、来年や再来年の今後の予定を立てていると未来の不安が急に出てきたりします。
過去ではああすれば良かったななどの後悔とか嫌だった思い出を思い出して気持ちが落ち込んだりイライラしてしまったりします。
未来の事ではこれから大丈夫かな?と不安に思ったりします。
両方とも物事の1つ1つは些細な事だと側から見たら思うのですが、それが年代を超えていくつも出てくるので、今が楽しめないと言う気持ちになってしまいます。
どうしたら今を楽しめる毎日を送れるでしょうか?
教えてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
問題はどこにあるのでしょう?
ご相談拝読しました。
「今」に課題を見出しておられますが、もしかしたら問題はそこではないのでは?と感じました。
過去や未来から分断された今はありません。過去に囚われているのも未来に怯えているのも今です。今を生きていないと思っているこの瞬間も事実としては今を生きています。
もんだいは「今」ではなく「楽しめない=楽しくないとダメという価値観」にあるのではないでしょうか。
不安や落ち込みやイライラだってあなたのなかに今湧き起る自然現象です。晴れがあれば雨もある。晴れだけというわけにはいきません。雨が悪いと感じる時もあれば雨が有り難いと感じる時もあるのは、雨自体に良い悪いがあるのではなく自分の都合次第な様に、自分に生じる気持ちも自分の都合で裁いてしまってはいませんか?
仏教では「苦しい」というのだけが「苦」ではなく「楽しい」というのも結局は「苦」です。なぜなら縁によって移ろい変わり壊れる時にはやはり苦となるものだからです。「壊苦(えく)
楽しいとか苦しいとかいうその時その時の在り方に一喜一憂する私たちですが、その私の在り方全体が「苦」=「思い通りにならないもの」だというのが仏教の気づきです。
思い通りにならないものを思い通りにしようとするのでなく、思い通りにならないものと知り、受け止め、味わっていく。
不安も後悔もイライラも今というこの時にご縁からいただいた贈り物です。贈り物は大事にしてこそその真価が発揮されるのではないでしょうか。」と言います。
質問者からのお礼
吉武様
お言葉、ありがとうございます。
思い通りにならないものを思い通りにしようとするのでなく、思い通りにならないものと知り、受け止め、味わっていく。
少しだけですが納得したような気がします。自分の力量が足りず、その事象をまだ受け止められず、どう噛み砕いたら良いかわからないのですが時期が通り過ぎたら答えが出るものなのでしょうか?
どうしても、過去にパワハラをした上司が私を退職に追い込み、彼はまだそのままの役職で過ごしている事が許せず、本社もそのような事実はないという回答で隠蔽されたままです。彼がのうのうと何も罰則も受けずに生活しているのがどうしても許せないのです。
一方では心の広い人になりたいと思いながら、でも許す事ができない自分もいてどうして世間は平等ではないのかなと思ってしまいます。
この悩み一生ついてくるのでしょうか?