生きる心構えについて。
昔から希死念慮のある子供でした。
高校から大学、社会人と大人になるにあたり、周りに相談したり、心療内科、精神科、カウンセリングと転々としましたが、結局「死にたい」と言う気持ちは無くなりませんでした。
周りに相談をした場合は3パターンの回答があります。
生きる事は良い事だと言うありきたりな説教をされるか、何も解決にならない改善策を言われるか、慰めにもならない慰めの言葉を言われるか...
カウンセリングは話しを聞くだけ、
心療内科は効き目の無い薬を出すだけのところでした。
そしてある時に気付きました。
「人生は起こるべき事しか起きない」「自分の人生は全て自分でどうにかするしかなく誰も本当の意味では助けてはくれない」という事です。
相談相手は私の人生を変わりに歩む事は出来ません。また特別な訓練を受けているわけでも無いのでアドバイスが的をえないのも当たり前です。
カウンセリングや心療内科はあくまで商売です。話しを聞くだけ、薬を出すだけで
お金が入るのですから患者がどうなろうと
関係ないのも当たり前です。
そしてそんな愚かな相談をしてしまった私は
人のせいにするのでは無く、自分に責任や原因あると考えて、相談に乗ってもらった相手、医療機関に感謝をするのも当たり前です。
私は一生懸命そう思おうとし、自分の気持ちは打ち消して、満足いく事を諦め続けました。
「死にたい」と頭によぎっても
「世の中とはそういうものだ」「仕方ない諦めよう。他の事を考えよう」と思い、なんとか過ごし続けています。
ただ最近思うのは、今後も一生そうやって諦め続けた人生を送るのか、何かもっと良い考え方があるのではないか。そう思っています。
正直正論や一般論にはうんざりしています。
ただ何か今後より良い人生を送るには
人生に対してどう向き合えば良いのか
アドバイスが有ればお伺いしたいです。
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
安心できる道をお勧めします
こんにちは、はじめまして。
これまでの紆余曲折、あなたの苦しみが伝わってきます。
「世の中とはそういうものだ」「仕方ない諦めよう。他の事を考えよう」と半ば諦めの気持ちでやり過ごそうとしたのですね。しかし、「今後も一生そうやって諦め続けた人生を送る」ことに疑問がわき、「何かもっと良い考え方があるのではないか」とご質問されたとのことです。
「正直正論や一般論にはうんざりしています」と書かれています。なるべく私なりにお力になりたいのです。ただ、文章中にはあなたの相談遍歴の事実について多くの字数が割かれており、「希死念慮のある子供」だったという以外に、あなたがどんな生育環境や希死念慮に関わる出来事を経ているのか、現在どういう生活をされているのかが具体的ではありませんので、その意味ではどうしてもあなたという個別のケースよりも「一般論」寄りになります。その点は、ご了解ください。
私は、人間は順風の時には自分を見失い、逆風に遭ってはじめて自分に会うということを教えられました。一般に人はどういう時に自分の人生の意味を問うのでしょうか。それは自分にとって逆風が吹いている時、生きづらさを感じている時、虚しさを感じている時です。逆に言えば、順調快適な時に人生の意味はなかなか問わないということです。
仏教ではどの宗派においても自分を問題にします。煩悩に生きざるを得ない自分を。文字通り身を煩わし心を悩ませているのは自分だと考えます。
しかしこれは悩みの原因について言っているに過ぎません。つまりこの原因についての対処、方法論があるということです。
あなたが周囲のアドバイスや病院からもらった薬で自分の解決ができないと思うなら、一度あなたのお家の宗旨の教えからあたってみてはどうでしょう。
例えば私の所属である浄土真宗本願寺派では通信教育によって一から仏教を学べます。ご縁があったら中央仏教学院で検索してみてください。
いずれにしても自分と向き合うということは、骨の折れることです。ただ、自分と向き合う時に必ず仏様と一緒であるという心強さがあります。必ずあなたを幸せにしたいという仏様が。そして同じ仏様のもとにいる者同士として分かり合える助け合える場がある、と言う安心感は何事にも代えがたいでしょう。
ご縁があればご一考ください。