人を信じられず虚しいです。
私は幼い頃から兄に性的な暴行を受けており、母親はそれを知って見てみぬふりをし、父親はそのことを知りません。もう働いて家を出て家族のことで悩むことは少なくなっていたはずなのですが、最近兄が結婚し、子供がもう時期生まれるのを両親身内が喜んでいるのを見て虚しさと悔しさがぶり返すようになり、もう私に帰る場所は無いのだと思うようになりました。
それでも最近までは私の過去を知って側にいてくれる同性の恋人がいたのですが、相手が恋愛感情を持てないセクシャリティの人間だったという理由で別れました。恋人は本当に数少ない友人でもあったので恋人も友人もなくしてしまったような感覚です。
私は依存し過ぎたくないと思いながらも彼女が私のそばに居てくれると期待しすぎてしまっていたようです。付き合う前、一人でいた頃よりも寂しさと虚しさがずっとつきまとうようになりました。
また親しい人を作りたいと思い、実際職場などでは表面上親しい様子で振る舞うことはしています。
それでも私は誰かと話すときや過ごすとき、ずっと何かを疑ってしまい、心が落ち着くことはありません。新しく誰かと知り合い、そこで自分が心を落ち着ける信頼を持つことが自分の心が邪魔をして難しいのだと思います。
虚しさや寂しさを抱えながら日々を過ごすのは若い頃怒りを持ちながら過ごしていた頃より何かをすり減らし本当にしんどいです。救われたいと思うのに、それがどうなる事なのか自分でわかりません。
私はどう生きればいいのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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自分を大切に扱ってください
ねこ 様 相談ありがとうございます。
対人関係で、「ずっと何かを疑ってしまう」「自分の心が邪魔をして」と、なぜか人との深い関りを回避してしまうのは、過去にそうしなければ、自分を守れないと感じてしまったからでしょう。知らず知らずのうちに染み付いた心の癖だと思います。ですので、疑ったり、邪魔をするのは、あなたのせいでもなく、あなたの責任でもありません。そして、この心の癖は変えることができるのです。
それは、自分に思いやりを向けることです。自分に愛情を向けて、自分に優しくすることです。
自分に思いやりを向けることは、自分を甘やかして怠惰にすることではありません。
自分の心と体を丁寧に扱っていくことです。自分の心と丁寧に向き合い、自分の心を愛情深く、温かく、優しさに溢れるようにしていく。そして体はいたわり、癒す時間を必ず設けるようにして、自分を大切に扱ってください。
そうして、「救われたいと思うのに、それがどうなる事なのか」が何となく、自分で解ってくると思います。
まずは、呼吸に意識を向けて、出る息と入る息に意識を向けましょう。ゆったりと、ゆっくりとした呼吸で、息を調えて、入ってくる空気が、どの様に感じられて、胸やお腹がどう動くのか観察しながら、深いゆっくりとした呼吸を続けて、心も穏やかにしていきましょう。
そして、あなたの感覚も落ち着いたら、誰かに優しさくされたとか、温かさを感じた時を思い出して、瞑想するようにその感覚に浸ってみましょう。
それを日々続けていくことで、やがて自分の中の愛情や優しさが満たされて、それを他人に分け与えるようになるでしょう。それを意識してみてくださいね。
質問者からのお礼
釋 孝修 様
回答ありがとうございます。
何度も読み返させて頂きました。自分を大切にとおっしゃられた事、まだ慣れませんがこれから少しづつやってみようと思います。
ありがとうございました。