リサイクルショップで数珠購入
二歳違いの姉は、貧着ない性格で、執着やこだわりだらけの私とは正反対。仲良くしている時は互いにそれを魅力と感じて尊重していました。
姉と関係がこじれ始めたのは3年ほど前、母の預金を事を知った姉が、「私は、こんなに面倒見ているのに、母は妹にだけお金の話をしていた」と母や私に電話をかけてきて、興奮して奇声をあげる事があったのです。
その後も、どんな要件でも最後にどんどん話を展開して、興奮して家族に電話を切られるというパターンになります。(反論するとこじれるので、ただ聞き手に回っていても結果は同じです)電話ですから、姉家族は電話口の私が、刺激して姉が興奮しているように見えますので、私の事をよく思はないのは、理解できます。が、誤解です。
最近は全く話が通じません、別の国の言語のように聞こえます。
2年前、父が亡くなった時、「通夜も葬式もお坊さんのお経も要らない、ぼったくられるだけだから」と姉夫婦に断言され、「やりたければやれば! 」の言葉に反論できませんでした。話し合いということもできず完全に感覚が違ったと実感することになりました。
気になっている事があります。姉が私の理解を超える行動をとるようになる前に、リサイクルショップで黒い天然石でできた日蓮宗のお数珠を購入しているのです。以前から電話でけんかしたりすることはあったのですが、興奮して奇声を上げるほど激高する事は一度もなかったので、何か関連があるでは・・・と考えたりします。
年齢のせいかもしれませんが同じころから血圧が高くなり、夜は怖くて運転させられないと義兄が言っていました。
姉の家族4人は義兄を含めてみな無宗教で信仰心もあまりありません。(死んだ人はどうでもいい、生きてる人が大事だと言い切ります)
でも、父の三回忌の際、家族みんな、長いお数珠を持っていいたのです。それもみな、違う宗派のものでした。驚きました。
そこまで無頓着でいいのでしょうか?
あの頃、魅力的に思えた頓着のない性格が発する言葉は、こじれてしまった今、心につきささり、苦しいです。同じ言葉なのに。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
数珠は修行の数を数える「そろばん」
数珠は、念仏などをたくさん唱えるときに、その数を数える道具です。
1回唱えたら珠を1個ずらす、珠が108個あるじゅずなら、一周したら108回唱えた、などと数える道具です。
数珠を身に付けることは、念仏を唱える習慣を忘れないこと、仏道修行を忘れないことにつながります。
宗派によって使う数珠の形に決まりがあるのは事実です。
しかし、お坊さんではないなら、多少違う数珠を着けていてもかまわないと思いますよ。
お姉さんは、頓着が無かったのではなく、あなたとは頓着する対象が違っただけでしょう。
つまり、お金には執着し、お金以外のことにはこだわらなかっただけでしょう。
せっかく数珠を持っているのに仏教精神を持ち歩いていないのが残念ですね。
なお、仏教は生きている者のための教えです。
死者も生まれかわってどこかで新しい「生きもの」になっているのです。
仏教は悩み苦しみの原因(煩悩)を制御したり消したりして、悩み苦しみを制御したり消したりする教えです。
お姉さんは奇声を上げるくらい苦しんでいる。その原因は欲・怒り・怠け・プライドなどの煩悩、執着心ではないでしょうか。
更年期だからかもしれません
お姉さんの事少し心配ですね。
数珠はなにも関係ありません。
道具ですから。
寧ろ、更年期や高血圧により、あるいは何かトラブルでもあって、精神的に不安定になっているのではないでしょうか。
更年期障害はちゃんと乗り越えたのでしょうか?
お姉さんの旦那さんに、お姉さんが一体何を怒っているのか聞いてみてはどうでしょうか。
お母さんの貯金が気になるのかな。
お母さんには頼み辛いかもしれませんが、万が一の時は、例えば姉妹に均等に分配するとか、言ってもらえば、お姉さんも安心するのかもしれません。
お父さんの供養や、仏教については、あなたがちゃんと学び継続していたら、いつかお姉さん達も少しは理解してくれるのではないかと思います。
お父さんの三回忌に数珠を持参した事を見ると、少しは信仰心があるのでしょう。
そのような回忌法要の際に、お坊さんに仏教のお話をして貰ってもいいと思います。
ただ、信仰は個人の自由ですから、お姉さんに無理に仏教を信じさせる必要はありません。
お姉さんが、死んだ人より生きている人が大事だと言われるのでしたら、生きているお母さんやあなたを大事にしてくださいとお願いしましょう。
神も仏も信じないなら、生きているお母さんとあなたを信じてくださいとお願いしましょう。
質問者からのお礼
ご助言、有難うございました。願誉浄史様も聖章様もお数珠については心配ないと言ってくださいましたので、お数珠を悪者にしてしまって、申し訳なかったと反省しています。
もしかしたら、姉が変わってしまったのではなく、姉を見る私が変わってしまっていたのかも知れません。それを認めたくなくて、お数珠のせいであって欲しかったのです。奇声を上げる電話を受けてから、嫌悪感が生まれ、気付かないうちに私の言動が、ますます姉をイラつかせ鬼の表情を向けるようにさせてしまっていたのではないでしょうか。
もし、母に信頼されていないという懐疑心の呪縛で、誤解であるとの話を聞く余裕さえない程苦しんでいるとしたら、なんとなく姉の行動が理解できるような気がします。また、姉は身を持って感情を丸出しにする醜さを教えてくれたようにも思えます。
この先、私が感謝の気持ちで、穏やかに姉に接し続けたら、いつかまた、姉も私を信じて大事に思ってくれる日が来るでしょうか。
心のささくれた個所に、お二方のお言葉の一つ一つが張り付いて痛みが和らいで素直になれていくのを感じています。言葉とは不思議ですね、薬にも毒にもなるのですね。また、投稿するにあたって文章にしながら自分の感情を整理する、いい機会になりました。本当に有難うございました。