地獄はないと思っているのに、怖いです。
地獄が怖いです。考えるだけで手汗が出てきて、時には体が震えたり、ちょっと泣きそうにもなります。
矛盾していますが、私は地獄はないと思います。人によってたとえ同じ文化の中で生きていてもちょっとずつ善悪の考えは違っていると思うからです。その中で「この人は天国、地獄」と決めるのは難しいのではないかと思います。だから、死後の世界があるとすれば現世と同じような感じだと思います。そこで何年か過ごして、生まれ変わるんじゃないかと思います。
そう思っているのに、何故か地獄が怖いです。きっと、自分が今まで色々してきたことへの罪悪感が原因だと思います。
臨死体験者の方の中にも地獄があるとおっしゃっている方がおられると知りました。もし地獄があれば、私は確実に地獄行きだと思います。日々嘘をついていますし、食材への感謝を忘れてただただ貪って食べてしまうこともよくあります。人も自分もたくさん傷つけてしまいます。虚栄心も強いです。ここには書ききれないぐらい悪いことをしていると思います。
せめて、少しでもいいことをしよう。少しでも毎日生きれていることに感謝して生きていこう。そう思って、少し人に優しく接せるようになった気がします。時々「でも毎日生きてる。生かされてる。ありがたいなぁ」と考えられるようにもなりました。
それでも、時々怖くなります。こんな私が死後地獄に行きたくないというのは傲慢なのかもしれません。それでも地獄に行きたくないです。落ちるまでに何年もかかる地獄があるとも知りました。そこに落ちながら「あぁ、あの時ああしとけばなぁ」と後悔している自分なんて、想像しただけでも辛いです。どうすれば、地獄について深く考えなくても済むようになるでしょうか。
拙い文章で申し訳ありません。ご教示頂けますと幸いです。
自分の死、周りの人の死が怖い。 わがままで怠け者な自分がいるのが嫌だが、変えられない。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
地獄は極楽浄土とセットで考える
こんにちは、初めまして。
「もし地獄があれば、私は確実に地獄行きだと思います」という恐れと闘いながらも、「少しでも毎日生きれていることに感謝して生きていこう」と生き方が転換されていく様子が書かれています。地獄が生きるあなたの鏡となって、自分自身の姿を知らされ行動を見直していく。その意味では地獄にも感謝、とも言えるかも知れません。
日本人の文化に決定的な影響を与えたのが、源信という方の『往生要集』という書物です。この書物の中に厳しい地獄の姿が描かれ、今に至るまで悪い行い=地獄というイメージが定着したと言われます。ただ、この書物の名にある通り、これは極楽浄土(「天国」とは全く違います)への「往生」を主題にしたもので地獄を描くことにはメインではありません。
地獄は自分の悪い行い(悪業)の累積によって、行き着く境涯であるというイメージがあなたの中でも生きているのでしょう。しかし、これは極楽浄土への往生ということのセットで初めて解決することです。極楽へ往生するから、地獄行きではないと安心できるのです。
あなたは、「地獄はない」と一生懸命心を落ち着けようとしているのかも知れません。しかし、自らの行いに敏感で厳しい人ほど、自らの悪業があるという現実から目を背けられません。だから、地獄行きということからも目を背けられない、というのは自然な流れです。
自らの悪業から離れられないという悪人が、極楽浄土の主である阿弥陀如来様は救いの目的にしていらっしゃる、と言われたのが親鸞聖人です。あなたの問題意識は
、あなた独特のものではなく、既に悩まれていた人がいた、ということですね。
ご縁があれば少しづつでも法話を聞かれてはいかがですか。
私の寺院紹介ページでもyoutubeチャンネルで法話が見れます。
また、最近も同様の質問があり、回答しましたので参考にしてください。
https://hasunoha.jp/questions/48977
では。
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おはようございます。
地獄が怖いお気持ち、伝わりました。
私も地獄は怖いです。
でも、私が大丈夫なのは地獄のことを考えるより、今やらなきゃいけないことを悔いのないよう仕上げることが忙しく、目の前のことで頭が一杯だからです。
悪いことや後ろめたいことも感じるかもしれませんが、『それでも頑張った。偉かった。』と自分をいたわり、ねぎらい、認めてあげる時間をほんの数秒でもいいから持ってください。
そうすることで、今の瞬間に後悔でなく尊さを育てることができます。
今を大切に。
そして、人生の行き先はは地獄でなく極楽です。
イメージトレーニングは
『地獄に行きたくないでなく、
極楽を目指す』に変更してください。
まずはそこから。
苦しみを滅する道
なつきさま
「地獄が怖い」というのは、ある意味においては正しい認識であり、自分の行いである業をより善くに調えていくための方便的機能を果たしているところがあります。
いわゆる応報刑論である刑法は、犯罪の予防という目的で定められているのと同様で、仏教における地獄という概念は、悪業を予防するという機能を持っているという面があります。
では、実際にそのような世界があるのかと申しましたら、確かに、広い三千大千世界(簡単にざっくりと申せば宇宙が三千個ぐらい)のこの娑婆世界のどこかで、よく描かれてあるような地獄絵図の世界はあるかもしれません。
しかし、実際にそのような世界が外にあるとしても、問題は、その世界を捉える心の状態にあるところとなります。
つまり、今の現在の地球人間世界でも、まさに地獄(絵図にある)のような苦しみに喘いでいる人(衆生)がいるということであります。戦争の惨禍などがその最たるものであります。
ですから、殊更に想像上の地獄や餓鬼の世界に怖がらなくても、まさに現実においてそのような状態はあり得るのであります。
もしかすると、今のなつきさまの心の状態も言ってみれば、地獄のような苦しみであると言えるのかもしれません。
まあ、六道のどの世界であれ、色々な苦しみを抱えて過ごすものですが、それらにおける全ての苦しみを滅していくための道をお説きになられましたのがお釈迦様となります。
苦しみには必ず原因があります。ならば、その原因を突き止めて、怪我や病気と同じように治療をしていけば、苦しみは治るものになっていくのであります。
是非、仏教の実践へと向かって頂けましたら有り難いことであると存じます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
お礼がとても遅くなり、まとめてになってしまい申し訳ありません。
回答ありがとうございました。地獄ではなく極楽というお言葉にはっとしました。
最近少しですが、自分の悪いところを改善できてきている気がします。とりあえず、目の前のことをしっかりしていきたいと思っています。
本当にありがとうございました。