死が怖いです
私は現在生後4ヶ月の娘を育てている新米ママです。
妊娠中の悪阻は産後の今も治ることなく毎日苦しいです。つわりが苦しすぎで馬鹿な考えだと思いますが、自殺を考えてしまう程です。
精神疾患もあり、どうしても1度悩み始めると抜け出せず、自殺を考えてしまうのです。
また、なにかこの悪阻は本当は病気なのではないかと考えると私はその病気にちゃんと立ち向かえる自信がありません。毎日辛い治療はいやです。
なにもかも辛いこと考えると自殺を考えてしまいがちなのですが、死ぬのが怖くてたまりません。
死後の世界はホントにあるのでしょうか。
虚言癖が私にはあり、地獄行きだと考えると怖くて仕方ありません。
最近、大切な叔父さんがなくなり余計に死後の世界に不安を抱いています。
言葉にまとまりがなく申し訳ありません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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地獄がある、と思う人に地獄はない
こんにちは、初めまして。
「精神疾患」並びにご体調がすぐれないのですね。また、小さいお子さんもおられるご様子ですから、毎日を送られること自体が非常にご苦労が多いこととお察しします。先ずは、ご心身共に大事にしてください。
「虚言癖が私にはあり、地獄行きだと考えると怖くて仕方ありません」とのことです。自らの行いと、「地獄行き」の関連を真剣に考えているからこそのご質問ですね。
私は昔、次のように教えられました。
地獄がある、と思う人に地獄はない。
地獄はない、と思う人に地獄はある。
と。
地獄は、過去の行い(業)がそのまま反映される境涯です。
もし、自分の行いに何ら反省がなく、死後どうなるかも分からず、迷いのままに命を終える人は、そのまま地獄行きを免れることは出来ないでしょう。芥川龍之介の『蜘蛛の糸』に出てくる罪人のカンダタはまさにこの通りです。
これは、地獄という結果が待ち受けていることも知らず(気づかないふりをして)、自己中心の心、煩悩全開で大手を振って生きる人は行きつくべくして地獄に行く。これを、地獄はない、と思って(生きて)いる人に地獄は(当然の結果として)ある、と言っているのです。
では、地獄がある、と思う人に地獄はない、というのはどういう事でしょうか。
先に述べたように、人間は必ず煩悩という制約の中に生きざるを得ません。「虚言癖」は、自分中心の心で、自分の都合よく事態を運ぶために習慣化したのではありませんか。また、人に認めてもらうための手段だっかもしれません。
しかし、あなたに限らず煩悩の末に罪を重ねるというのは、人間だれしも同様です。その地獄行きが必定であるはずの私を、必ず方向転換させ極楽への道を歩ませようとされているのが仏様(阿弥陀如来様)です。地獄行きが決まっている、地獄はあると思っているけれど、有難くも地獄行きが免れて極楽へ往かせて頂く。この故に、自分の結果としての地獄(行き)は実質的にない、という意味なのです。
この道理に気付かせて頂くのは、仏様のお陰です。
一朝一夕では極楽行は実現しませんが、とにもかくにも法話を聞き続けることが大切です。
あなたの宗旨が分からないので、この辺にしておきますが、私のお寺紹介で法話動画へのリンクもありますのでよかったら参考に。また、御付き合いのお寺さんに尋ねるのもいいと思います。
質問者からのお礼
こんにちわ。
あれからだいぶ月日が流れ、返信が遅れてしまいました。
この日より、今本当にしんどくて、どうしたら良いのかわからず。。
でも、日々生きることを大切に頑張ります。