諦める事と、受け入れる事の違い
思ったように物事が進まなくても、穏やかに過ごせるようになりました。昔は勉強や仕事、人間関係などで理想と違う状況になった時、怒ったり泣いたり悩んだり、感情の起伏が激しく苦しんでいました。死すら考える事もありました。
しかし歳を重ねるごとに、予想に反した結果になっても昔ほど感情に振り回されなくなりました。上手く成さなくても受け入れる事が出来る様になったのだと思っていました。
でもふと、諦めているだけなのでは?と感じる事もあります。穏やかに過ごせているのですが、いろいろな事への執着も薄くなってきた為か、昔ほど何かに感動したり、喜んだりする事もないように思います。
もっと情熱的に物事に取り組むべきなのでしょうか。このままで私は精一杯、生を全うしできるのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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程良い情熱と穏やかさ
こんにちは、初めまして。
「もっと情熱的に物事に取り組むべきなのでしょうか」という問いは、私もかつて(今でも時々)考えたことがあります。「思ったように物事が進まなくても、穏やかに過ごせるように」なったという感慨を深めるほどに、このままでいいのかとも考える。その穏やかな中に秘めた熱い思いは、私も共感する所です。
以前、見た映画に「庭から昇ったロケット雲」という作品がありました。
宇宙飛行士を志していた人が、父親の死をきっかけに農場を継がざるを得なくなった。しかし、宇宙への夢を諦められない彼は、農園の庭先で自作によるロケットを制作し始める・・・という映画です。
私は、その情熱が好きです。
ただ、同時に思うのは、自らの情熱を優先するのはいいとしても、家族以外の周囲はさぞ迷惑だったろうな、とも思います。現に失敗して、周囲に迷惑をかけています。そもそも、いつ隣の敷地から猛スピードでロケットが飛んでくるやも知れない、落ちるてくるかも知れないというのは笑えないほど恐ろしい話です。そこには夢を実現するという美談のようでありつつも、かなりの自分勝手さがあるとも思うのです。
これはお話の方向性を示すための、極端な一例です。
あなたは、情熱を持ち続けるということと、周囲に合わせるというよいバランス感覚を身に着けたのではないでしょうか。周囲と合意しながら、歩調をあわせながら、かつ埋もれずに自分の主張も押し出していく。
その程良い情熱と穏やかさをこれからも維持していけばいいと思います。
応援してます。
質問者からのお礼
お答え頂きありがとうございます。
何度も読み返して考えさせて頂きました。
そして私のこの考えも情熱なのか、と思う事が出来ました。共感して応援して下さる方がいるという事がとても嬉しく、これも私の大切な喜びなのか、とも思いました。
調和しながら情熱を保つ事は、多くの人が抱えるテーマですね。これからも、穏やかに前向きに生活していきたいと思います。
ありがとうございました!