何もうまくいかず年々不幸になっていきます
先日病院で頸椎が少し損傷していると言われ、原因である大好きな楽器をやめなくてはいけなくなりました。
私は自己肯定感が低く職場でも価値のない人間として扱われ、何をやっても長続きしないのに、この楽器だけは長年ずっと続けていて、演奏している時だけは人から認めてもらえていました。
なかなか他人には理解してもらえませんが私にとってこの楽器は自分自身だったんです。
今は楽器を見るのもつらく、暴飲暴食に走って現実逃避していますが、現実に戻ると布団に潜って情けなく延々と泣いています。
この数年ずっと仕事や将来で悩んで死にたい時もありましたが、半年前に子宮摘出手術を受け、やっと体が楽になり”なりたい自分の体になった。これからは心機一転だ!”と思っていた矢先でした。
職場には同年代で、場の迷惑も考えずに大声でキャーキャーと遊んでいる女性がいて、その人は年々元気に年々楽しそうにいつも大はしゃぎしています。
もちろんその人なりに悩みはあると思いますが、つい比較してしまい、あんな人には絶対なりたくないと思いつつも、自分は年々不幸で孤独になっていっています。
たくさんの自己啓発の言葉に自分を必死で持ち上げて来たけど、もう疲れてきました。
こんな人生、どうすれば変えられるのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人生は多面的
こんにちは、初めまして。
「頸椎が少し損傷」とのこと、先ずはどうぞお大事になさってください。「大好きな楽器をやめ」ざるを得なくなったのことです。あなたの無念さが伝わってきます。
過去のご質問を拝見すると、楽器店にお勤めのようです。「楽器を見るのもつらく」という状況はあなたにとって、日常的に頭から離れないような深い悩みなのだろうとお察しします。
あなたは、長年楽器に携わってこられたようですね。「演奏している時だけは人から認めてもらえ」た、という所から楽器並びに演奏がご自身の一部でもあったのでしょう。まるで半身を失ったかのような苦しみだと思います。
あなたには到底及びませんが、私は素人から初めてサックスを始め5年になります。すっかりライフワークになりましたので、もしこれが出来なくなったら、と考えるとあなたのお気持ちの一端が伺える気がします。
私のかつて習っていた先生は、ある時ご体調を崩されて吹くことができなくなりました。とても無念であったようですが、ある時SNSを通して一枚の写真を見せて頂きました。それは、新調したウッドベースを抱いて笑っておられるお姿でした。バリトンサックスを吹いていたから、低音つながりでこれにしたのよ、と言われていました。
管楽器と弦楽器ですから、全然違う操作になりますが、その後も一心に練習をされておられるようです。私は、その時ちょっとした贈り物をしたのですが、その贈り物のワンポイントに桜のイラストが添えてあったそうです。そうです、というのは私はあくまで先生の再出発を思う意図で贈り物をしたかったので、そこにどんな模様や造形が込められているかをしかとは見ていなかったからです。
しかし、先生はそのイラストがとても気に入られたようでした。そして、桜が新たな季節を教えてくれるように、私の新たな再出発を応援してくれて有難う、と言われました。私もその先生の言葉が嬉しかったです。
上手くいかないことはありましょう。
しかし、人生はもっと多面的だと思います。
一つの面が上手くいかなくても、他の面がある。
不幸せの面だけでなく、幸せの面が。
今は気がついていないだけで、すでにある幸せの面。
これから気がついていける幸せの面。
あなたにもある、のではないでしょうか。
質問者からのお礼
貴重な体験からのお返事、とても胸に染みました…。
私はその先生のように素敵な方にはなれませんが、心が温かくなるエピソードで気持ちが安らぎました。
子供のように取り乱して泣いて過ごしていましたが、多面的に世界を見て視野を広げなければと思いました。
本当にありがとうございました。