人の幸せを考えられる人間になりたい
私は自分中心の考えの人間です。
hasunohaの回答を見ているとこれではいけないと気持ちを整えることができるのですが、忙しく日々を過ごしてる内にまた自己中な考えにもどってしまうんです。
お坊様方が生きていく中で自分を律するために心がけていることや考えがあれば教えていただきたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
いますぐデキる!!【無財の七施】『雑宝蔵経』
"心がけていることや考えがあれば教えていただきたい"
[眼施]やさしいまなざしで
[和顔悦色施]ごきげんよろしゅう
[言辞施]やさしい言葉で
[身施]ちょっとくらいお手伝い
[心施]ちょっとした気くばり
[床座施]どうぞ、こちらへ
[房舎施]こちらへ、どうぞ
私は貧乏な上に、坊主としてもまったくの未熟者なので、大したことは何もできませんが、それでも仏教に学び仏教に育てられた一社会人として、この【無財の七施】の実践を心がけて日常生活を送っています。何か特別な事をしなくても、たかがこんな事でと思うような些細なことでも、他者の心に触れられたり通じ合ったりしたときの悦びといったら、もうたまらない。ありがとうが溢れ出すよ。
先ず自分の幸せを考えてください。
自己中心で構いません
排他的でなければ…。
そして
自分が不幸では
とても他の人を幸せにはできません。
でも
「人の幸せを考えられる人間になりたい」
と考えている時点で
すでに自分中心の考えの人間ではありませんよ。
人の幸せを考えられる人間になりたい、と願う人こそ幸せなのです
はじめまして、なるさん。北海道白老のはくりょうと申します。
なるさんの投稿、読ませていただきました。
本当になるさんのような方がたくさんいてくれれば。
人の幸福を願える者は、すでに菩薩です。その優しさと思いやりがあれば、幸せになれるのです。
自分を中心にしてもいいではありませんか。自己が中心にいないと気が済まない者の多い世の中で、自分を中心にして周囲に気を配れるのがなるさんなのです。
東に病気の子供がいても、西に疲れた母があっても、南に死にそうな人がいても、北にケンカがあっても、自分を中心に据えないと見えてこないものです。
菩薩の如く心優しきなるさんは、しっかり自分軸を中心に据えて周囲を明るく優しく照らしていてください。
…ぼくもなるさんを見習って精進努力いたします。
はくりょう拝
質問者からのお礼
お坊様方ご回答いただきありがとうございます。
確かに自分の幸せがあるから他人の幸せを願えるものですよね。
人の事かんがえなきゃって変に一杯一杯になってしまっていたかもしれません。
無財の七施初めてききました。
もっと意味を調べて実践してみたいと思います!
私も誰かの心に触れられるように精進致します。
優しい回答をありがとうございました。