夢を叶えたいのに努力できない
何度も失敗をしては変わらず医師になりたいと願っています。
医師になれないのであれば、生きる意味もないと追い詰められた考えをもっていますが、その実努力はできていません。
夢を叶えられないこと、そしてなにより自身がそのための努力を怠っている現状に罪悪感があり、大きなストレスとなっています。
いっそ逃げ出したいと思い、命を絶つことも考えますが、それすらも思いきりを持てずにいます。
世間の目や年齢と闘いながら夢を追いつづけるのは難しい、しかし諦めるのは死と同義で努力以前に自分がどうしたいのかすら定まっていないように思えます。
私はこのまま自分の信じる道を進んで良いのでしょうか?それとも自身を殺してでも、この社会に生きるべきなのでしょうか?
本来こういったことは私自身で答えを見つけるべきものだとは思うのですが、生きるという難解な問題に取り組めるほどの余裕がありません。もしよろしければお力を貸していただきたいです。
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どんなあたなでも応援しています。大丈夫です。がんばって。
ずっと医師に成りたいと思って頑張ってきた。それなのに思ったように努力できないあなたの葛藤ともどかしさが伝わってきました。思った事が2つあります。
①今あなたの当面の課題に目を向けましょう。圧倒的に努力できなかったとしても今までやってきた事をコツコツ続ける事です。悩みながらでもいい、今受験を控えた人は皆不安定になっている、不安です。だから圧倒的な努力はしなくていい。それよりも、日々の課題に目を向ける日課に目をむける。少しずつでも今までの努力を継続する。そこに目を向けましょう。努力できる事も実は縁です。思い通りにならない。精神的安定や健康など、条件がそろわないと思ったように努力できないのが人間です。あなただけではない。思ったように努力できない時期もある。それはおかしい事じゃないのです。
②医師に成れないならば意味ない。死んだも同然という考えがやはり極端だと思う。そもそも、人間ってそんなに思い通りになる物だろうか?医師に成ることが目標ならば、何年かかっても成ればいいと思う。でも、成れなかったら意味がないというのは違うでしょう。あなたが追い詰められていることは分ります。でも考えてみて下さい、私の知り合いでも、理学部や工学部を経由して、学部を出てから、医学部に編入し医師になった人が居る。海外の医学部に編入すれば、日本の大学の学部(医学部に限らない)を出ていれば日本の医学部に編入するよりも早い年数で医師免許を取れます。そういう遠回りするなり方もあるのです。死んでも医師になりたいという根性があるならば、何年かかっても、海外に行ってでも医師に成ればいい。今のあなたは、上手い事早く勉強できるようになって手っ取り早く医師に成りたいと思っている様にしか感じません。
そういう人は、からなず、上手くいかなかった別の人を見下します。
人は本来、どんな道行きをしても、どんな風に生きても、のろくても、尊重されるべき命を生きている。そのことを理解できる医師になって欲しい。夢を追いたくても追えない重い病気にかかる患者さんもいるでしょう。そういう人をあなたは意味ないと言って切り捨てますか?そんな医師に成りたいですか?あなたは何年かかっても医師に成ればいい。でも上手くできない他人も自分も切り捨てるような人間なら医師に成ってはいけないと思う。
【今のあなたに読んで欲しい本】メンタルクエスト(鈴木裕介)
失敗の数が問題なのではない
ぶどうさん、ハスノハに相談を寄せて頂き有り難うございました。まず、身体の余分な力を抜きましょう。大きく(特に吐く息に意識しながら)深呼吸を3回しましょう。医師として患者さんと関わるためには、自身の心身の健康管理は大切ですものね。
さて、「医師になりたい」と夢を抱き続けてこれまで生きてこられたんですね。夢を持ち続けることは素晴らしいことです。ぶどうさんはお手本とする医師や憧れている医師がいますか。さらには、医師になることがぶどうさんのゴールではありませんから、医師になって何をしたいですか。誰とどのように関わりながら生きていきたいですか。5年先10年先の自分をどのように想像できますか。あの人のようになりたい、こんな自分として生きていきたいと具体的に思い描くことができると、夢を追い続ける原動力の一つになりますね。
失敗の数が問題なのではないと思います。失敗の中で気づくこと、考えること、工夫することができるからです。福山雅治さんは、「生きてる生きてく」という歌の中で、「いままで生きて出した答えは 正解よりも間違いの方が多いよ 僕は間違いながら大人になって来たんだ」と歌っています。
「医師になれないのであれば、生きる意味はない」と考えておられますが、それは「こんなに重い病気になったら、生きていく意味はない」と嘆く患者さんと同じではないですか。でも、ぶどうさんは医師として「あなたが生まれてきてくれてうれしい!生きていてくれてうれしい!」と声をかけてあげるのではないですか。「病気になったことは取り消せないけれど、この病気がきっかけでいろんなことを考えることが出来ましたね。あなたのことを心配してくれる医療者・スタッフ、そしてご両親やご家族がいますね。少しずつでも日常生活に戻れるように、私(=ぶどうさんのこと)も精一杯努力しますから、あなたも精一杯生きてくださいね」と。
新型コロナ騒動によって、全ての業種が影響を受けています。 医師・看護師など医療関係者の負担は、とても大きいものがあります。だからこそ、幼い頃より夢を抱いてきたぶどうさんが必要とされています。
じっくり自分を振り返る中で、医師という夢がもし変わることになっても、それは敗北ではありません。医師以外にも、老いや病を抱える方々をサポートする業種は数多くあります。将来の設計図を組み替える柔軟さも必要かもしれません。