他人を許せない短気な性格を直したいです。
始めに手掛かりになるかもしれないので、私の短所を書きます。
ドライ、両極端(興味がある事はとことん突き詰めるが、興味が無い事は触れもしない)、白黒はっきりつける、人の好き嫌いがはっきりしている(好きな人には腹を割って話し、本気で笑いながら接します。関わりたくない人は、目も合わせない所か話しかけられても無視か態度に出します。一度関係が崩れると修復不可能です。職場は仕方がないので上辺だけで接してます)、頑固、優劣を付ける、何事にも効率を重視する、完璧主義、せっかち、やられたらやり返す所です。
私の性格の悪い部分が特に出るのは車や電車が好きだからか、車の運転や電車内が多いです。
特に車の運転に関しては若い時から練習を重ね、人一倍気を遣って運転しています。
具体的事例ですが、目の前の車が制限速度以下で走っていて邪魔になっていたり、左右確認に不備があって、こちらに気付かず出てきたり、後方を確認せず車線変更され、ヒヤっとしたりと、兎に角自分のペースを乱されたり、この人周りの事を考えて運転してない。下手だなと思う場面に遭遇すると、「バカだろ、こう運転するべきなのにそんな事も出来ないのに運転しているのか、そっちが死ぬ分には構わないがこっちも加害者になるじゃないか」と言った事を口に出したり、自分が一人で運転していてぶつけられそうになった時は追いかけて行って注意した事もあります。
この他にも赤信号で横断歩道を渡り、接触しそうになった老人をその場で叱責したり、電車内で堂々と音を出してゲームや動画視聴している人を叱責したりと、自分が正しいと思ったら言わないと気が済みません。
先日一旦停止の十字路でお辞儀してから渡る老人を見て、こっちは一旦停止だからお辞儀する暇があったらさっさと渡った方が効率がいいのにと口に出した所、恋人と口論になり、性格を治す様、最終警告を受けました。
今までもこの問題で何度か口論になったので、スマホサイトなどで直す方法を度々模索してきましたが、相手の立場に立って考える、ひと呼吸置くと言った内容ばかりで、治す事が出来ませんでした。
元々は過激な性格ではなかったのですが、何故こんなに些細な事や自分の正義とのズレに憤ってしまうのか、何故他人を許す事が出来ないのか自分でも分かりません。
直す事は難しいでしょうか?
どうか力をお借し下さい。
よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
鬼と巨人
"直す事は難しいでしょうか?"
そんなことはないと思います。
"何故他人を許す事が出来ないのか"
最近、『鬼滅の刃』や『進撃の巨人』がえらく流行っていますよね。元々、私はまったく興味がなかったのですが、なぜか同門の坊さんやイイ歳した大人の人たちから強く勧められ、ちょっと観てみることにしました。
なるほど、小さな子どもでもわかりやすい、正義の味方が悪者やバケモノをやっつけるという、いわゆる【勧善懲悪】のストーリーであると同時に、悪者側にも、悪者側へ回るよりしかたなかった<悲しさ>が内容に盛り込まれており、これは少年漫画にしておくにはもったいない深さがあるなぁと私は感じました。
どうでしょうか。
不届き者どものアンモラルやバッドマナーに対するお怒りはごもっともではありますが、いっぽうで彼らには彼らなりの<悲しさ>があるのだろうと、彼らの背景まで見通して思いを馳せてやってはいただけないものでしょうか?
迷惑行為をする者を、見て見ぬ振りをしろと言っているのではありません。ただ、同じ注意をするにも叱責してやるにしても、あなたの憤怒が単なる【瞋恚】ではなく【慈悲】より発せられたものであれば、相手にもきっと届くでしょうし、あなた自身にとってもきっと【功徳】になると思います。
拝読させて頂きました。
あなたがお怒りになったりするお気持ちもわかりますし、許せないと思ってしまうことも多々あるかと思います。
とはいえその気持ちばかりで生きていくといきつくところどこにいくでしょうかね?ちょっとゆっくりと考えてみましょう。
どんな些細なことでもものごとうまくいかないと腹立たしい、どんな小さな間違いも許すことができない、どんな人でもちょっとしたことで認められなくなってしまう…。
そうしていくとあなたが何年か経った後にはこの世の誰一人許すことも認めることも出来なくなってしまうことでしょう。或いは多くの先祖様方も認めることができなくなってしまうのではないでしょうか?
或いはできないことのある自分を許すことはできなくなってしまうでしょう。
そうするとあなたは自分のことすら認められず自信も無くなり、自分が生きていること自体にも価値を見出せなくなってしまうのではないでしょうか?
幼い年端のいかぬ子供達や高齢者や足の障がいのある方々が横断歩道を渡ることがありますよね、そんな時には例えば信号が青から赤に変わったとしても車は歩行者を優先して止まる義務があります。そのような時にあなたの心はどう思いますか?
ちょっと思い描いて下さい。そこで人々を邪魔だと思ったり急いで渡れと罵ったり、或いはひき殺してしまえと思う心があるならば、わが心は本当に浅はかで愚かなもの、そして何と余裕のないキャパシティのないものかと思い知ることでしょう。そのような心しか持たない自分とは全く未熟であること、完璧からほど遠いものであることを知るでしょう。
私も含めてですが人とは本当に愚かなものです。ですから先ずは我が身のほどをよくよく見つめて知ることです。「脚下照顧」ですね。そしてそのような浅はかな我が身のほどを心から神仏やご先祖様方に懺悔して見つめ直すことです。
あなたが我が身のことを見つめ直して心おおらかにお健やかに成長なさっていかれ、皆さんと一緒に和やかに豊かに生き抜いていかれます様心より仏様やあなたのご先祖様方にお祈りさせて頂きます。
こんにちは。ご質問ありがとうございます。ご自分の短気で怒りっぽい性格を直したいと思っているのですね。ご自分の性格の悪い部分というのは、気がつきにくいものですし、他人に言うのが恥ずかしい気持ちになってしまいがちですが、しっかりご自分の性格を素直に見つめ正直にここにお悩みとして相談してくださったことはとても良い事だと思います。
自分の性格の悪い部分に気がついている、という事は、「あ、悪い部分がでそうだ」となった時にコントロールしやすいと思います。質問の中にあるとおり、そのような悪い性格が出そうになったら一呼吸おくなどすると良いでしょう。怒りのマックスは6秒程度といわれています。6秒我慢する訓練をしましょう。私は曹洞宗なので「南無阿弥陀仏」は唱えませんが、「南無阿弥陀仏」は6文字なので一文字1秒の早さでお唱えするとちょうど6秒となるので、良いお唱えだと思います。
さてご質問に「元々は過激な性格ではなかった」とあります。
実は私も一時期運転マナーが守れなかったりする人に対しカッカとしてしまうことがあり、「自分はこんな攻撃的な性格ではなかったはずだ。おかしい」と思ってお医者さんに相談したところ、「パニック障害」と診断を受けました。お薬を飲んで治しました。パニック障害とはうつ病の仲間のようです。うつ病は性格とは関係なく、風邪のように誰もがかかる可能性があるもののようです。
私は専門家ではないし、全く的外れな回答かもしれませんが、私の経験に似ているなぁと思い回答を入れさせていただきました。一度お医者さんに相談してみても良いと思います。
質問者からのお礼
光禪様
初めまして。ご回答ありがとうございました。
ご回答にあります、「自分の短所を認識していれば、あ、悪い部分がでそうだとなった時にコントロールしやすいと思います。」
こちらを上手く活用して、車の運転にも言える事ですが、早めに自分の感情にブレーキをかける。というのも有効ではないかと感じました。
上記を行いやすくする為の具体的方策として、慌てたり感情が高ぶった際はご回答の中にある6秒ルールや自分なりにあえてボーっとして、良い意味で気を反らしながら行動する様にして経過観察中です。(今まで通り確認や細心の注意は払ってます)
「パニック障害」の件ですが、職場が体育会系や気難しい人が多く、私自身、人渡りが上手ではないので、人間関係に苦労してきました。
私もその疾患に対して知識はありませんが、ストレスや環境が原因でなる事があるなら、罹患してても不思議ではありません。
まずはこちらの文章に記載した方法で経過を診て、効果が無い様でしたら、病院に行ってみようと思います。
この度はお時間を頂き、貴重なご回答をありがとうございました。
転落院様
初めまして。ご回答ありがとうございます。
ご回答にあります『進撃の巨人』のお話し、とても分かりやすく自分に起こっている事にも共通点が有り、感慨深いものがありました。
ご回答を拝見させて頂いて、自分なりにですが、悪者側にも、悪者側へ回るより仕方なかった理由を不届きと切り捨てるのではなく、悲しい理由があるのでは?と唱えてみる様にしてみました。
ここ数日、上記を実践して運転をしていますが、憑き物が取れた様な感じと言いますか、今までの様に感情がヒートアップしなくなった気がします。
【瞋恚】と【慈悲】、もう少し噛み砕くと【怒る】ではなく、【諭す】と、間柄によっては【叱る】と言った感じでしょうか。
自分の【功徳】の為にも上記を意識して行動しようと思いました。
この度はお時間を頂き、貴重なご回答をありがとうございました。
Kousyo Kuuyo Azuma様
初めまして。ご回答、ありがとうございます。
ご回答にあります、怒りや他人を許せない気持ちばかりでは誰も許す事が出来なくなり、最後は自分も許せなくなる。
まさに今の自分だと思いました。
最近では意識していなくても、何をするにも人の粗が第一に目につく様になっていました。
理由は分かりませんが、既に自分を認めれていないから他人を認めれないのかもしれません。
人を認めれる様になる具体的な方策として、ご回答の文面にある歩行者が歩いている途中に信号が青→赤に変わるお話しですが、
今目の前の出来事の善悪だけでなく、その人の抱える事情といいますか、そこまで考える事が大事だと思いました。
特に足や脳に障害がある方は一目では分からない事もあると思います。そこまで私は考えていなかったので、なるほどと頷く事が出来ました。
同時に光禪様や転落院様のお話しにも繋がって来て、
お礼の文に書かせて頂いた方策を実践してみるべきだと思いました。
「脚下照顧」。仰る通り、私自身の心にキャパシティがなく完璧でないからこそ、人に完璧を求めているのかもしれません。
今一度、自分を見つめ直す良いきっかけとなりました。
この度はお時間を頂き、貴重なご回答をありがとうございました。