hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

こんな私って結局こんな運命なのでしょうか?

回答数回答 2
有り難し有り難し 11

最近自分を変えるために
一歩踏み出して飲食店の接客のアルバイトに行くようになったのですが、
仕事もいまいちできないし
迷惑かけてるし
いつもあたふたで自分が抜けてるような所もある上に人見知りで内気であまり言わないからか、責任者の人には私にはなんでも言っていいと思われてるのか
今日もバカにされるような事を笑いながら嫌味込めて言われて笑われたりします。でもいい事とか言ってくれたりもするので
矛盾してるのですが。笑
それに素早く動かないといけないのに
まだあたふたしてて把握もできてないので迷惑をかけてるばかりです。

でも、最近、気になる人がいてその人は
元々優しくて気さくで
私に話しかけてきてくてたりして
すごく気になっているのですが
自分から上手く話せないし
話もあまり弾みません。

でもその男の子の事を
他に気になっている女の子がいて
その人には私はうざがられてるような感じがしてあまり心開けそうにないけど
その女の子の方が仕事もできるししっかりしてるし可愛いからその子との方が楽しく話してる所の想像もつくし、
多分後々この2人が付き合う事になって
好意を持ってる人とも恋も実らないだろうなって感じてます。

私みたいな内気で上手く自分の意志も言えなくて仕事も上手くできない上に馬鹿にされるような事を言われて、笑われて
。しかも恋さえも実らせれそうにない。私みたいな人間は結局こんな運命なんでしょうか?

自分から話しかける勇気もなければ
意思表示する勇気もありません。
なんて言われるか不安だから。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

運命?

そんなもんで人の一生が決められてたまるかぁーい!!

て、ボクはそう思います。

運命も寿命も後付の言い訳ですよ。

ハッキリしてるのはただ一つ。

生かされてある今、だけです。

すべてはご縁の成せることであり、そこから逃げずに真正面から向かい合い、受け入れることしかできません。

自分と言っている個は、その自分がまず受け入れ、愛してあげなければ、他が受け入れ、愛してくれるとは思えません。

ある先生はおっしゃいました。

「自己嫌悪ほどの地獄はない」と。

自分が自分を嫌うことほどツライことはないのです。ただし、やみくもに自分を全肯定し、悪しきことを他の責任とせよということでありません。

自分の言動のすべて、良いところも悪いところもすべて、まずその自分自身がちゃんと受け入れて愛してあげましょう。

人柄、美しさ、やさしさはそんな人の内面から出てきます。

周囲の人がそれを感じ、対応に変化が出るまでには時間はかかると思います。周囲の言動は納得できる部分は受け入れて修正する努力をし、理不尽なものは無視してもよいと思います。

そして、内気な自分、うまく表現のできない自分、それでもがんばってる自分を、まず自分が愛してあげてください。

合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

真宗大谷派寺院で住職をしております。真宗目線でお話できることがあれば幸いで...
このお坊さんを応援する

善き結果を望むのであれば・・

aki様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

まず、大桑様もおっしゃられてるように、運命は(実体的に)決まっているものではありません。因果の理の中で様々な縁によりて変わっていく、あるいは変えられるものであるとお考え下さいませ。

問い「運命には逆らえないのでしょうか?」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002956277.html

何事においても、「・・運命・宿命・決定付けられていることだと言って諦めてしまうのであれば、これからも何をどう生きようが、努力しようが、悪いことをしようが、善いことをしようが関係なく、何もかもがもう既に決まってしまっているとして、あらゆることが否定されて無意味となってしまいかねません。これは一つの虚無・悲観主義に陥り、仏教において退けるべき極端な考え方、断見となります。・・」

仏教で因果の理を重視するのも、善き結果のためには、善き原因・条件が必要であり、その善き原因・条件を然るべくに調えていくためでございます。

aki様が望まれておられる善き結果を得たいとなさられるでありましたら、当然にaki様ご自身が努力し改善していくことによって、それが可能となる次第でございます。

ご自身を変えられたいという思いの中で、接客のアルバイトをなさられ始めたことも、善き結果を得られたいことの動機の一つ、そして、実際に始めたことにより、出会いもあって、気になる方もでき、恋なされることにも繋がっており、この「縁」によって、可能性が少しずつでも広がっていることは実感できておられるのではないかとは存じます。もしも、アルバイトを始めていなければ、出会う縁はなかったのですから。

誠に善き結果を望まれる可能性を更に繋がれていかれるかどうかは、aki様次第、後ろ向きに自己嫌悪に陥られたままでは、善き結果を得ることは尚更に難しくなってしまいます・・

結果は因・縁次第、結果は始めから(実体的に)決まっているものではありません。何もしないでは可能性は限りなくゼロに近づくだけです。自分から何気ないことから少しずつでも話しかけていかれることで、もしかしますと恋も前進する可能性があるかと存じます。いかがでしょうか。。

川口英俊 合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
このお坊さんを応援する

「運・運命」問答一覧

家族の怪我が続く

以前主人について、離婚すべきかご相談させて頂いたものになります。 その際は心温まるお言葉を誠にありがとうございます。 その後数ヶ月我慢して日々を過ごしていたところ、土曜日出勤で私が仕事中子供を保育園に預けている間、主人が仲間たちと遊んでいたところ、階段を踏みはずし、脛と膝を粉砕骨折、救急車で運ばれ2ヶ月入院の大怪我を致しました。 ちなみに骨折入院中に主人は私と同じ会社を退職しました。2ヶ月ほど前に、私には相談も無く、独立するということで会社に退職届を出していました。 それもこれもやはり神様の思し召しか、独立は時期早々かと思いましたが、私は何も言わずに、毎週3歳の子供を連れて片道2時間かけて面会に行きました。 その退院後、主人も心を入れ替えたのか、家事や育児にも協力的になり、出かけても家に毎日帰ってくるようになりました。昨年の7月頭骨折、9月頭退院の出来事です。 そんな年が明けた矢先、おととい、 姉の旦那が小学生の子供2人と家族4人でスケートをしていたところ、くるぶしを骨折、本日から急遽入院、手術することになりました。姉の家族は私から見ても羨ましいくらい夫婦仲も家族仲もよく、何も悪いことは見当たらなく、夫婦2人3脚でやってきたので、1ヶ月程度の入院ということで姉が大変ショックを受けています。 また、正月に実家に帰った際、姉の家族を見送った翌日に私が帰ろうと駐車場から出た際に、私の父が階段から転倒したらしく、骨折まではいかなかったのですが足を怪我しています。 私の身の回りで、しかも父に当たる人が立て続けに足を怪我をしているのですが、何か良くない運気があるのでしょうか? ちなみに以前のご相談で記載させて頂きました私の母は、3年前の私の出産時末期の白血病だったのですが、私の祈りが通じたのか奇跡が起こり、今年はお正月料理を今までで一番盛大に準備し、私の子供と遊べるくらいまでに回復しました。 私と姉は元気ですが、立て続けに試練が来るのでかなり不安になっています。 偶然でしょうか? 何か断ち切る方法があれば教えてください。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

「運」って何ですか?

初めまして。疑問に思っていることがあります。 「運」という言葉は現代人は皆当たり前のように使う言葉です。「ギャンブルで勝ったから運がいい。」「ソシャゲのガチャで狙いが全然当たらず運が悪い」といった感じに。 このように「過去に起こった出来事」に対して運がよかった、悪かったということに対しては特に疑問はありません。 しかし、「今の俺は運がいいから次も勝てる」「私は運が悪いから何をやってもうまくいかない」といったように、あたかも「運」を自分の才能や能力のように語ることに疑問を感じます。 どんなに過去の結果がよかったとしても、これから振るサイコロの目が出る確率は変わることはないはずです。しかし人は「運」で確率が変わるかのように信じ、験担ぎをしたり神社にお参りに行ったりします。 私の中で「運」という物は以下のどれかかなと思います。 1:「運」は人が持つ才能や能力の一つであり、良い行いをすることで鍛えることができるもの。 2:「運」は天上の存在が与えるチャンスであり、良い行いをすると巡り合いやすくなる。 3:「運」なんて存在しない。全ては過去の結果であり、行いで変化するものでもない。 私は「運」を信用していない人なので3だと思っています。 お坊さんの方々は「運」というものを何だと考えるか知りたいです。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

運命とは

私は周りから見たら、外見才能知能、そんなに恵まれてたら何もかもがイージーだろと言われるように産まれました。 しかしそんな人間は周りから見るといるだけで「ずるい」許せない存在であり、あらゆる人(家族友人教師)から酷い迫害に遭い幼少期からストレスで病気だらけ、頼る人もいず、彼氏も友達(養育環境による鬱で)も自殺し義務教育すら終えられず11年も引きこもりまともな就労経験もなく15年もうつで餓死寸前で入院、差別され続け何で生きているのか分りません。 大人になっても外見のせいで異性にとんでもない目に遭わされ同性には嫉妬、やっと結婚し昨年息子を産み激しいトラウマの末、家族と夫にまで虐待されていた事を40年経って気付き絶縁し自分は悪くなかったと知り一瞬で鬱が治りました。 姉二人は普通の人生です。親戚に誰も似ていない才能があり美しい私「だけ」家族中から虐待され、三歳で殴られ死ねと言われ去年生きている間にと改名しました。 唯一優しかったのは祖母であり、その長女が「この子は産まれてきて良かったという顔をしている」と言い、彼女には何か不思議な力があったらしく私に純白のドレスを小学校入学式に贈ってくれたりもしました。 その通り私は不思議なものを見たり聞いたり奇跡的に助けられたりを何度もしました。物理的にあり得ないことが起き周りの人の方がそれを見、知っていました。 妄想などと診断された事もなく、大抵のスピリチュアルには懐疑的で幽霊や恐ろしいものを見たことは一度も無いのです。一番強烈な体験を信頼できるお坊さんに話したら「私はそんな体験はないけれど真実だと思います」と逆に驚かれました。 親は身近で知りうる限り最も愚かで尊敬できる所のない人間でした。私はたった一人ボコボコにされながら家族を助けてきました。もう十分だろうと思います。彼らが罪を悔い改める時間が残されているといいですが。 神仏がおられるのなら(私は確信しましたが何の神かは分かりません)真に救われるべきは自らの弱さに対峙せず、それを抗えぬ幼い我が子にぶつけた彼らの方だと思います。 夫は酷いモラハラを大変反省してくれ何もかもこれからだと思いましたが、夫はおそらく軽い自閉症であり息子は遺伝したのかもっと重く知的障害も併せ持っているようです。 私の人生よりも、生きる力をくれた息子を不幸にした事が許せません。 運命とは一体何なのでしょう?

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ