癇癪を抑えられません、自分が嫌いです
ゲームで癇癪を起こし、それが抑えられません
そんな自分が嫌いでたまりません
ゲームで負けたり、やられた時に怒りが沸き上がりそれをコントロールできません
物に当たったり自分を叩いたりしてしまいます
こんな自分を変えなくては!とアンガーマネジメントを調べたり、瞑想をしてみたり、と色々試してみましたが何も変えられませんでした
この様な癇癪を起こす事、癇癪を起こすほど真剣に取り組んでるのに上手くなれない事、ゲームに限らず何事も普通の人より劣っている点ばかり、こんな自分が嫌で嫌でたまりません
心の中で「こんな自分に生きてる価値があるのか?」といつも自問自答しています
癇癪を起こすのも「なんでみんなが出来てる事が自分だけ出来ないんだ!」という自分への怒りです
根本には自己肯定感の無さが有ると考えています
(母からよく「お前なんて生きてる価値無い、死ね!」と言われていたのが原因かと考えています)
この様な自分自身への怒りや憎しみを消して明るく前向きになりたいのですが、先に挙げた様な努力も結果は出ず
癇癪起こしてそれを悔やみ、前向きになろうとして叶わず嘆き、なんで自分だけこんな事に…と落ち込む日々です
自分の性根は持って生まれた物で変えられないのでしょうか?
諦めずに足掻き続ければ何か変えられるのでしょうか?
もうどうしたらいいのか、自分の事がわからないです
なにか助言を頂けないでしょうか
よろしくお願いします
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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複合的な取り組みを
こんにちは。
「ゲームに限らず何事も普通の人より劣ってい」て「こんな自分が嫌で嫌でたまりません」とあります。自己嫌悪、自己否定 、そして表題にある通り自己への癇癪を起こす。
あなたの怒りは、自分を負かせた相手にではなくてあくまでも自分を攻撃しているところに特徴があるのだと思います。
私は背景に複合的な問題があると思います。
あなたは、「真剣に取り組んでるのに上手くなれない」ということで怒りが収まらないとのことです。これは至極冷静な言い方になるかもしれませんが、「上手くなれない」のは原因とそこへの対策、努力の量が不足であるから「上手くなれない」のだと思います。これくらい努力しているのだからと言う、結果に対する甘い期待がありませんか。現実をより厳しく把握し予測することが必要でしょう。
次に、あなたは勝てなくて怒るのですよね。
それはあなたがプライドが高いからという可能性はありませんか。プライドは一概に否定するべきではなく、何かをなしていくときの強い原動力になることもあります。しかし、あなたの場合、自己否定の方向が強いことの裏返しで自分への評価を無理に高く設定しまっていて、そのギャップ、二律背反によって自分を苦しめてしまいます。このプライドの問題は、自己否定とつながります。
ご自身で分析されているように、生育の過程で母親から投げつけられた言葉によって自己肯定感が低いという問題があなたの根本にあるのだと思います。これは、肯定感が得られやすい場に身を置く必要があります。
例えば、趣味の会や地域の活動などで、お互いのペースで楽しんで認め合ったり、地域や人の役に立つことで認められることで高まったりもします。あと、仏教からは仏様という無条件で受け入れてくれる存在という道筋もありますが、あなたの信仰が分からないので、可能性の指摘のみを述べます。また、カウンセリングも良い方向性を与えてくれるでしょう。
こういった、肯定感を高める道筋においては、平穏な人間関係の構築が不可欠であり、当然「癇癪」はネックになります。だから、自己を見直すとともに、肯定感を高めるという複合的な取り組みが必要かと思いました。
自己否定になるならやめた方がいいでしょう。
まず。癇癪を起す原因となっているゲームをやめましょう。
今のi-k-oさんにとっては自己否定するだけの対象ですから、負ける度に自分を貶めているだけです。
そして >母からよく「お前なんて生きてる価値無い、死ね!」と言われていたのが原因かと考えています。
ならば、価値ある人間になればいいのです。どんなことでもいいですから自信の持てるものを作ってください。お母さんからのたしかに冷たい言葉ですが、逆に考えれば、その言葉によって𠮟咤激励と思えばいいのです。