癇癪持ちの息子について
19歳の息子がいます。小2の時発達障害と診断されてから、学校で問題を起こす、暴れる、パニックになるなどが、多く、私はいつも、学校からの電話にビクビクしながら、大きくなりました。中学の時は、問題は起こさなかったのですが、遅刻早退を繰り返し、高校の時は2年から、学校に通えなくなり、通信生の高校に転校しました。癇癪持ちで、ちょっとしたことで、切れて、家のテレビを壊したこともあります。専門学校に入ってからは、友達と喧嘩して殴り、幸い相手に怪我はなかったものの、眼鏡代を弁償しました。発達障害と診断されてからずっと息子が暴れるのではないかと気の休まる暇がなく、私の心もいつも沈んでいて、こんな事なら、産まなければ良かったとさえ、思うこともあります。でも、愛おしく、問題がある分親しくもあります。この子のせいで犠牲にしてきたこともたくさんあります。産まなければ良かったとまでひどいことを思う私は、思い詰め過ぎでしょうか?もっと心が軽くなるような、有り難いアドバイスをよろしくお願いします。
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発達障害のことは分かりませんが
詳しい知識があって回答させていただくのではありません。が、参考になることもあるかもしれませんので近くのお寺のご家族についてお話したいと思います。
そこのお寺はお祖父ちゃん、お祖母ちゃん、ご住職、奥さん、お子さんお二人という家族構成でした。40歳くらいでご住職が急死され、その後、下の男の子は小学校6年生頃から学校に行けなくなりました。昼夜逆転となり、夜遅くなると友達が訪ねてきました。お祖母ちゃんは認知症から寝たきりとなられましたが、当時、老人施設もディサービスもなく、お祖父ちゃんがお祖母ちゃんの介護とお寺、奥さんはお勤め、上の娘さんも少しですが精神を患うという状況になりました。
息子さんは成長なさり高校に行く年代になりましたが、たしかすぐ退学され、大検の学校も入ってはすぐ通えなくなり、やめるみたいな状況でした。お祖母ちゃんはずっと寝たきりで、「ワシはどんだけバアさんのオシメを替えたか分からん。死んでくれてホッとした」とお祖父さんは肩っておられました。
息子さんは、出口の見えないまま北海道に渡り、携帯電話で知り合った女性とお付き合いなさりました。この女性の住む村はあまりに寂しい所で産業もなく二人で食べる当てはありません。そこで、息子さんは勉強しなければ二人で暮らせない、と思い立たれ、大検の学校に復学し、同年の方々と比べてずっと後になって大学をご卒業になりました。
お祖父さんは、そのあらゆる過程をずっと支え続け、ひとに隠すこともなく、ありのままを他者に語ってはばかることがありませんでした。そして何があっても動じることなく、「黙ってみていた」とおっしゃいました。もう亡くなりましたが、剛直な大人物でした。
こんな子、産まなきゃよかった、というのは偽らざる本音でしょう。私もそう思うかもしれません。しかし、このお祖父ちゃんから学べることは、自分の心に正直であると同時に、ずっと支え続ける大きな親心を持つということでしょうか。愚痴をいいながら、専門家に相談しなら、辛いでしょうが親心を保ち続けてください。辛いときは、どんどんhasunohaに投稿してください。
質問者からのお礼
こんな子産まなければ良かったと書いて、叱られるかと思っていたので、共感して頂き、なんだか救われる気持ちになりました。大きな親心ですね、ハスノハに相談させて頂きながら、なんとか、息子と共に生きて行きたいと思います。