自分を責めて傷つけるのがやめられない
Fラン大学の工学部院に内部進学することになりました。外部受験の時精神を病んでしまい体調を崩して受けることが出来ませんでした。
それでも、中でどう過ごすかが重要なんだぞ。先生とは仲良くできているし内部進学で良かったんだ。と、切り替えて進もうと思っているのですが、悪いことばかり考えてしまいます。
何やっても学歴には勝てないのでは無いのか?自分が他人に全否定されそうで怖いです。むしろ、自分で自身を否定することがやめられません。
前を向いて頑張りたいのに、結局学歴が良くないから何やっても無駄になりそう。
とか、試験でしくじったのだから何やってもだめだろう。と自分を攻撃してしまいます。
なんでか、やめられないんです。
自分で自分を苦しめてるだけということに気付いているのにどうしても自分の足を止めるようなことばかり考えてしまうのでます。本当は自分を大切にしたいのに気付くとこんな自分・・・。と考えてしまいます。
新しい考え方を手に入れればこんな変な考え方捨てられるんじゃないかと思っています。ご教授下さい。よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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推論から結論への見直し
こんにちは。
「Fラン大学」という表現を聞くようになったのは、私にとってはごく最近のことです。何でこんな言葉が流布するようになったのでしょうか。推測に過ぎませんが、ランク付けの好きな人が好んで言い始めたことなのだろうと思います。それは、他を見下して自分を大きく見せたい自己顕示欲の現れのようにも感じられます。
あなたが悩んでいるのは伝わってきます。
しかし、あなたの今後のために一つアドバイスしたいのは、順序立てた思考が冷静に行えていないのではないかということです。
あなたは、今後の就職、大きく言って人生を見越してのことでしょうが、「何やっても学歴には勝てないのでは無いのか」と推測している。それが、まもなく「何やってもだめだろう」という結論づけに移行している。そう、推測がいつのまにか結論になっているのです。ご自身で気がついていますか。
どんな学問でも、仮説、推論は先行研究や実験データの裏付けという他者の研究成果の引用や客観的な証明がなければなりません。論文はそうやって書くと思っていますし、あなたもご存知でしょう。そういった他者の見解、データがないとどうなるか。それは、自分がこう思うというだけの作文になってしまいます。
あなたは、「何やっても学歴には勝てないのでは無いのか」という仮説がある。
では、「学歴」ってなんでしょう。
日本の大学・短大進学率(2020)は、58.6%だと聞いています。では、残りの41.4%の人がどのような就職をして人生を歩んでいるかのデータも必要になりますね。
そもそも「勝てない」って何に勝つのでしょうか。
人生は、勝負なのですか。
勝負ということは、他者と対決、比べるということですよね。
日本人の幸福観についてのデータも調べる必要がありませんか。そして、その中であなたの「勝てない」という個人的観点を客観的に位置づける必要が論理上必要になります。必要に応じて、幸福とはなにかという哲学的観点も必要になるかもしれませんね、
そのような一つの論文を完成させるつもりで、「何やってもだめだろう」という結論づけが妥当かどうか。一度やってみてはいかがでしょうか。
このように勧めるのは、あなたがご自身の中だけで独り相撲を取っているように見えるからです。一度、冷静な目で自分の考えを論理的に整理する。先ずはそれからです。
質問者からのお礼
悠水様
お礼を書くのに時間がかかってしまいすみませんでした。
悠水様からの回答を頂いたあと、すぐに忙しい日々がやって来ました。
コロナの影響で満足に1年間、研究が出来なかった学部4年時と比べると求められることが多く、挫折し泣きながら実験室で夜を過ごしました。
その頃には学歴云々よりもどれほど技術を磨くのが良いのか少しずつ分かるようになりました。
その後地道にですがなんとか修士生活を過ごしております。
悠水様の回答は正論であり、すぐに理解出来るものでした。有難い回答を頂けたこととても感謝しております。
これからも自分なりに精進致します。
ありがとうございました。