孤独とのつきあい方
昨年、長年勤めた小さな会社から大規模な会社に転職しました。転職してかれこれ9ヶ月になります。
会社都合によるやむを得ない転職で、スムーズに転職出来たこと自体は、むしろ有り難いことと思っております。
しかしながら、今まで上司と家族のような付き合いだったので、新たな環境では、人間関係が希薄なように感じられ、孤独を感じることがあります。
一方で、元上司にはパワハラ、モラハラ的な気質もあり(前職を離れてからはっきりと思い至りました)また、今の職場の方々もよい方たちで、元の環境に戻りたい、というのとも少し違います。
今は、元上司とは少し距離を取っております。それも孤独感と関係するかも知れません。
お坊様も孤独を感じることはおありかと思います。
どのように孤独と折り合いをつけていらっしゃるかお伺い出来れば幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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孤独は、孤独ではないことを知る縁
こんにちは。
「スムーズに転職出来た」のは良かったですね。
ただ、文中にある通り、環境が変わったことで歓迎すべき点とそうでない点があるようです。あなたに限らず、私も含め人間とは複雑なものだと思います。
私も、孤独を感じることはあります。
孤独は、時に心が安らぐものです。
同じ空間に居る誰かのことを気遣ったり、目を気にしたりする必要がない、という時間は必要だと思っています。
でも、孤独は時に不安になります。
それは、多くの人が周りに居ても、一人ぼっちであるかのような感覚を持ったときです。周囲の人との心理的距離が大きいほど、自分だけが失敗や上手くいかないことを抱えてしまった時です。
しかし、どんな孤独な状態にある時も、自分の味方で居てくれる家族のことを思うと心が落ち着きます。そんな時、私は家族の名前を呼びたくなって、独り言(ご)ちる時があります。
また、仏様がどんなときにも私と共に居てくださることを思います。
お経の中にある通り、「一念一刹那」、一瞬たりとも私と離れていないということが私の心中に浮かびます。同悲同苦、私と同じように悲しんで苦しんで、私のすべてを知ってくれている仏様を思います。
私の全てを知悉して下さる、という点では家族以上に私を知り抜いているとも言えます。そんな存在の有り難さに触れる時、自然と南無阿彌陀佛と独り言ちのようにお念仏をとなえさせて頂きます。
孤独は、孤独じゃないという温かさを知るスパイスのようなものだ、と私は思います。
追記
ご返信ありがとうございました。
またご丁寧にお礼も頂戴し恐縮です。
とても励まされます。
短い回答でしたがお役に立てれば何よりで嬉しいです。
今後のご多幸を願っております。
ありがとうございました。
質問者からのお礼
釋 悠水上人
さっそくのご回答をありがとうございます。
仏様が高い視点から、私を見ていて下さる、と思うとなんだか救われる気がいたします。
孤独があるから、いろいろな創作や発明が生まれたのだとも思います。
孤独は独居にあるのではなく、街に、人の間にあるのだとも。
孤独と折り合っていければいいな、と思いました。
ありがとうございました。