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生きていていいのか

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有り難し有り難し 16

3年出産をし女の子を授かりました。その後3ヶ月後児相に虐待を疑われ娘は保護され去年3歳になり自宅に帰れると言われましたが、方針が変わったと言われ結局里親に行く事になってしまいました。
もちろん、絶対に虐待していません。家庭復帰に向けどんな提案をしても受け入れてもらえず、3年間娘の成長もろくに見れずやっとちゃんと母親出来ると思ってもギリギリで変わり、里親さんに育てられ娘が辛い思いや寂しい思いをすると思うと辛いです。娘が1番辛いとわかっているはずなのに辛いです。いつかその事でいじめられるのではないか。それならいっそ私はいなくなってしまった方がいいのではないか。
死んだら娘の近くに入れるのではないかと考えてしまいます。
でも、逃げだとも思うんです。たった一人の母親なのに私が諦めてもいいのかって。産んだだけの母親でも生きていていいのですか。辛い時に寄り添ってあげれなくて、嬉しい時に一緒に喜んであげられないのに何もしてあげられないのに。正直死ぬ勇気もありません。それでも、私がいない方が娘は幸せになれるのかなって思ってしまいます。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたの切実な思いに

こんにちは。

「たった一人の母親なのに私が諦めてもいいのか」「産んだだけの母親でも生きていていいの」かというお尋ねです。過去に「辛い時に寄り添ってあげれな」かった。未来においても「嬉しい時に一緒に喜んであげられない」だろうという無念さが伝わってきます。母親としての役割を果たしたかった、そのあなたの思いが切実に表れています。

「私がいない方が娘は幸せになれるのか」とも自問自答していますね。
私のような第三者が、その答えをすることは難しいです。
過去の詳細な状況を知ることが出来ない立場としては。

卑近な例で申し訳ないのですが、映画に「バタフライ・エフェクト」という作品があります。ラストまで明らかにしてしまいますが、良ければ読んでください。

これは、主人公が想い人である幼馴染の辛い現実を変えるため、過去を何度もやり直して試行錯誤するという筋の映画です。あの時、こうしてれば、という思いから。そして、何回かやり直して良いところまでは行くのですが、幼馴染が良くてもその周囲の人が不幸になったりして、どうしても全てがハッピーエンドには終わりません。

そこで、主人公は最後に気づくのです。
自分が最初から幼馴染と知り合わないこと、これが幼馴染にとって最良の選択なのだということを。自分にとっては不本意であり、苦渋の決断ではあるけれども。

自分が何かをもって関わりたい、親だからこそ思う心です。
なにか出来た、なにか出来るのではと思う心も、親という縁を得たからこそです。

しかし、辛いけど、悲しいけれども、納得ができないけれども、自分では十分に関わりきれないことがある。その事実を苦しいけれども、胸に納めてく必要のあることも世にはある、と私は思います。

あなたの切実な思いに、第三者が勝手な言葉を挟みました。
ただ一言を、と思いまして書きました。
ご了承ください。

追記
ご返信ありがとうございました。
お役に立てれば嬉しいです。
当面は色々と思い悩まれるかもしれませんが、またご相談ありましたらお寄せください。
お大事に。

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釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。
是非映画を見させてもらおうと思います。
映画をみて何かヒントがあるかも知れません。
きっと自問自答は続くとおもいます。けど、私自身納得のいく答えではなくとも娘が少しでも笑って、生まれて良かったと思ってくれるように。母としての縁を大事にしたいと思います。ありがとうございました。

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