絵が辛い
お世話になっています。趣味の話です。愚痴もありますが聞いてください。
私は通信制高校の生徒で、この学校に入ったのはコロナとか中学の時の病気も理由ですが、「できるだけ家で1人で絵を書いたり創作的なことを極めておきたいから」っていうのもありました。
で、それは理想論でそもそも自分は絵なんて好きでもなく、それなら褒める人がいるから仕方なく続けているんだなっていう結論を出しています。
高校入ったくらいから、もうすぐ大人になる兄弟が家の中でよく家族と喧嘩をするようになったり、家の中がギスギスしていることとかが原因で心が廃れてしまった?のか、
そもそも絵を描くこと自体が嫌になったのかな、と思います。
(でも穏やかな所にいたとしても、描くこと自体に喜べないと感じてます)
私のいる学校はマンモス校で、ネットで色んな生徒が交流をするんですが
高校生でプロレベルに近い絵を描く人なんかごまんといて、趣味でやっている人は楽しそうに書いていたりします。両者羨ましいです。自分は楽しさなんて全然ないから。
周りがどんな人でも、そもそも絵なんて最初から書かなければよかった、って何回も泣いています。
芸術とかは才能だから〜と言いたいわけではないし、毎日書いて精進してる人は現実的にいると思います。
それで、もう絵を描かないようになるにはどうすればいいと思いますか?
ちょっとでも描こうかな〜とペンを出してきて、結局泣いている感じです。
絵を続けてね、とか無責任な言葉が嫌いで、色んな意味で恵まれてる人が嫌いです。
うーん
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嫌になったら、それは本物
こんにちは。
「絵が辛い」原因は、「家の中がギスギスしていることとかが原因」か、「そもそも絵を描くこと自体が嫌になったのか」、自分でもよく分からない状況なのでしょう。
本当の原因は、これから分かることなのかもしません。
ただ、後者の場合、「絵を描くこと自体が嫌」になったと考えているのであれば、今後、縁ある限り向き合い続けて欲しいと思います。「絵を続けてね、とか無責任な言葉が嫌い」という言葉が聞こえてきそうですが。
私は趣味で、40歳を超えてからサックスを始め、もう5年経ちます。
かっこいいから、という安易な入り口でした。今でも毎日練習しています。
ただ、時々向き合うのも嫌になる時があります。
自分では頑張っているつもりでも、演奏に反映されないときです。
でも、不思議と吹きたくない時間を少し開けると、やっぱりまた吹きたくなります。そして、一年、二年と重ねていく内に、少しは上達したかも(当社比)と思えるようになりました。それでも、プロ並みに上手い人、趣味でもすごい上達の早い人の演奏を見ると憧れとともに、なんだか自分が情けなくなる時もあります。
私は、ある人にこんな言葉を教えてもらいました。
嫌いになったら、それは本物。
という言葉です。
本物になりたいから、努力する。
でも、本物に遠いから嫌になる。
嫌になる、という事自体が、既に本物を目指しているからです。
既に本物の入り口に立っているからです。
あなたはこう書いています。
「高校生でプロレベルに近い絵を描く人なんかごまんといて、趣味でやっている人は楽しそうに書いていたりします。両者羨ましいです。自分は楽しさなんて全然ないから」と。
努力しているうちは、「楽しさ」が感じられないことは多いと思います。
むしろ、「楽しさ」を感じられるのは、長い年月と努力の末に、本物に少しだけ近づけた、そういう実感を持つ一時だけなのだと想像します。
「ちょっとでも描こうかな〜とペンを出してきて」、というそれが大切だと思います。「絵が辛い」時があってもいい。その原因を考えるのもいい。でも、「ペン」と縁がある、書こうという心の僅かな囁きがある。それで十分だと思います。
是非、絵との縁を大切にして下さい。
私も自分の縁を大切にしていきます。