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情欲を離れる事について

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私はあまりモテた事がありません。

彼女ができないのでその元となる情欲から離れ、自らなすべき事に徹しようとしていますが、

この異性を求める心の煩悩が常に邪魔をして煩悩を消滅させる事ができないでいます。

ブッダの教えでは情欲を離れる事が最も優れた徳であると説かれていますが、その方法については見たことがないです。

清らかな心で日々生活するためにこの煩悩を消滅させたいのですがその方法がわかりません。

一体どのようにすれば、この異性を求めるという煩悩を消滅させる事ができるでしょうか。

2021年2月26日 21:56

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

う~ん…

ご相談拝読しました。

煩悩を減らしたり無くしたりすることができると考えているとしたらそれは煩悩についての見方が甘いでしょう。

私たちは煩悩そのもの。煩悩が呼吸し、煩悩が歩いているようなものです。

ですからブッダがその煩悩を滅尽したというのは煩悩そのものである私たちの思考イメージと違いがあるのかもしれません。

肉体を持つ以上は離れられない煩悩の構造はそのままに、その構造・内容をありのままに見つめたからこそ、言うなれば煩悩を超えていかれたのではないでしょうか。その方法論は主として瞑想の行として説かれていると思います。

ところで仏教の中でも浄土真宗は特異な教えであって、私たちは死ぬまで煩悩を離れられないと説きます。しかしそれはけしてあきらめではなく、むしろ煩悩の障りが大きいからこそ、その私を救おうとする阿弥陀仏の徳の大きさに目覚めていく救いがあるものです。

あなたは今自分が煩悩を断てるという立場に立って仏道を歩むか、そうではない立場で仏道を歩むのかの岐路にあるのかもしれません。

まずは励んでみると良いのでしょうが、おそらく実感としてそれが到底無理であることは感じていることでしょう。

どうかその自分をごまかさず、かつ、それでも救われる道を求めましょう。

それにせっかく努力をするのなら性欲・情欲を離れるよりも、人を愛し愛される努力、傷つくことを恐れない努力も良いのではないでしょうか。

逃げようと逃げようとするとより煩悩の炎は大きく燃えさかって感じるもの。自分の煩悩の身を深く認めるならば、その煩悩の身が活かされていく道があるはずです。

仏陀は異性を離れることを主たる目的として仏道を歩んだわけではないでしょう。自分が老い、病み、死ぬ身であることが大問題となったのです。彼女が出来ようが出来まいが私たちはいつか必ず死にます。その自覚こそが出発点です。別に仏道を歩むきっかけはなんであっても構わないとは思いますが、「あれ?ちょっと違うかも?」と立ち止まってみることも大切ですよ。

2021年2月26日 23:10
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はじめまして。 北海道の道南地区にある若松という農村のお寺に所属しており...

「欲望・欲を抑える」問答一覧

密教における欲、怒りについて。

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新しい刺激を得たい欲求との付き合い方

ストレスが溜まると新しい刺激が欲しくなります。(週1ぐらい) 同じ毎日に嫌気が刺し新しい楽しいことがないかと考えます。 しかし、それのせいで先日夫と喧嘩をしました。 少し前から私はこの人生を鮮やかにするには新しいことを習慣化し自分の特技を作ろうと語学の勉強をしていました。 勉強をしていくうちにペラペラになりたいと思い、なった方々を調べるとネイティブの方と喋るに尽きるとのことでした。 私は留学はできませんしお金もあまりないので、海外の方と交流できるコミュニケーションアプリの利用を考えました。もちろん女性とだけ関わるつもりでした。 しかし、夫は元々SNSを酷く嫌がるタイプの人間なのでやはりダメでした。 自分からすれば刺激のない日々の対策を自ら見つけ、コツコツ頑張って来たので腹が立ちました。何も男の人と関わるとは言ってないからです。 とはいえ、夫がそう言うだろうとはわかっていました。自分は夫の方が大事なのでそこは自分が諦めました。 しかしながら、じゃあその代わりになる物があるかと言うとそうじゃないです。 今まで散歩や、新しい料理、掃除、読書などをやってましたがどれも物足りなかったです。 また何かを見つけない限り自分は生きてるのが苦痛になると思います。 このストレスを得ると新しい刺激を得たい欲求とどう付き合うのが良いのでしょうか。

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「欲」との向き合い方が分かりません。

いつもお世話になっています。 タイトルの通り、欲とどう付き合うべきなのか、より正確には「無欲」とどう対峙すれば良いのか悩んでいます。 私は基本的に、様々な物・事に対する欲や執着が薄い傾向にあります。 物欲はもちろん、金銭や名誉への執着も大してなく、娯楽や趣味も没頭するほど興味の強いものが特にありません。 人間である以上、欲が皆無という事は有り得ませんし、あくまで「欲が薄い」のだろうと自身では思っていますが、実際それを周囲から指摘される事がたびたびあります。 例えば物欲ですが、生活必需品(消耗品)以外の物について「どうしても欲しくて堪らない」と感じる事がほとんどなく、自ら買いに出かけるような事はまずありません。 流行に疎く、新しい物・珍しい物への関心も薄いです。 毎年誕生日にプレゼント交換をする友人がいますが、これと言って欲しい物も思いつかず「じゃあこれ適当に使って」と仕方なく現金でもらった経験さえあります。 しかし、そのお金に関しても「欲しい物、したい事があって貯めている」わけではなく、「使う予定がなく必然的に貯金に回っている」状態です。 他にも、人と会ったり遊んだりする際、行きたい場所、したい事がパッと浮かばず、基本的にプランは相手任せです。 (表現が適切か定かでありませんが) 「意見がないに等しい」ので、仮にどこで何をする事になっても、それを苦に感じたり嫌に思ったりは特にありません。 ですが周りからは「それで本当に楽しめてるの?」と逆に疑われる事があります。 また、私はどちらかと言うと「〜したい」より「〜したくない」という欲が強いです。 自身の経験上(※詳細は過去の質問をご参照願います)、常に思考の根本に「周りを巻き込みたくない」考えがあり、結果的に「相手に合わせる」、より正確には「相手任せ」という展開が大半です。 自分自身に関しても、「今以下にはなりたくない」、強いて肯定形にするなら「せめて現状維持でいたい」です。 欲の無さは同時に自信や向上心の無さだと聞きますが、やはり欲が薄いのは総じて良くないのでしょうか。 欲の薄い自分はまともに自己主張すらできない弱い人間という事なのでしょうか。 欲が薄い事は「恥ずべき」事、「改めるべき」事に当たりますか。そうである場合、それを直していくためにどのような事を心がけていくべきか教えて頂きたいです。

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踏みにじられたいという欲求について

誰にでも、こだわりや真面目に取り組んでいること、話題にしたく無いことなどの他人に土足で踏み込まれたく無いゾーンってものがあると思っています。 私自身、他人のそういうのを察すると避けますし、大体の人達は何も言わずに見守ってくれたりします。 親しき仲にも礼儀ありと言うのか、タブーに触れて相手を傷つけない為に、そして自分も嫌われないように、そうするのだと思います。私はそうです。 私にもそういったどんなに親しい友人にも触れて欲しく無いものごとが有ります。 いい意味でも、悪い意味でも、本気だから茶化されたく無いし、自分による自分の為のものだから、と感じます。 ですがその一方で、他人にそれを指摘されたい、話題にされたい、踏みにじられたいと思います。 話題を避けてくれたなと思う瞬間があると寂しさを感じることもあります。 これは承認欲求なのでしょうか。 他人から自分という存在を知ってもらっていることを明確に確認したいのか、と考えたりします… 本音でぶつかりたい、とはまた違うような気もしますし、なんでも話せる友人に一度言ったことがあるのですが、友人からの私を傷つけないようにという優しさを無碍にしてしまっているような、困らせてしまっている罪悪感を感じました。 私も大切な友人にそういったことをしたくは無いと強く思いますが、私はされたいのです。結果自分は傷つくだろうむかむかするだろうもしかしたら嫌いになるかも、とは思いますが… 自分でもよくわからない感情にモヤモヤしています。あまり人には共感されにくいと思い他人には話せずに寂しさを感じています。 皆さまの視点からのお話を聞かせていただけたらと思います。

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