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情欲を離れる事について

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有り難し有り難し 24

私はあまりモテた事がありません。

彼女ができないのでその元となる情欲から離れ、自らなすべき事に徹しようとしていますが、

この異性を求める心の煩悩が常に邪魔をして煩悩を消滅させる事ができないでいます。

ブッダの教えでは情欲を離れる事が最も優れた徳であると説かれていますが、その方法については見たことがないです。

清らかな心で日々生活するためにこの煩悩を消滅させたいのですがその方法がわかりません。

一体どのようにすれば、この異性を求めるという煩悩を消滅させる事ができるでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

う~ん…

ご相談拝読しました。

煩悩を減らしたり無くしたりすることができると考えているとしたらそれは煩悩についての見方が甘いでしょう。

私たちは煩悩そのもの。煩悩が呼吸し、煩悩が歩いているようなものです。

ですからブッダがその煩悩を滅尽したというのは煩悩そのものである私たちの思考イメージと違いがあるのかもしれません。

肉体を持つ以上は離れられない煩悩の構造はそのままに、その構造・内容をありのままに見つめたからこそ、言うなれば煩悩を超えていかれたのではないでしょうか。その方法論は主として瞑想の行として説かれていると思います。

ところで仏教の中でも浄土真宗は特異な教えであって、私たちは死ぬまで煩悩を離れられないと説きます。しかしそれはけしてあきらめではなく、むしろ煩悩の障りが大きいからこそ、その私を救おうとする阿弥陀仏の徳の大きさに目覚めていく救いがあるものです。

あなたは今自分が煩悩を断てるという立場に立って仏道を歩むか、そうではない立場で仏道を歩むのかの岐路にあるのかもしれません。

まずは励んでみると良いのでしょうが、おそらく実感としてそれが到底無理であることは感じていることでしょう。

どうかその自分をごまかさず、かつ、それでも救われる道を求めましょう。

それにせっかく努力をするのなら性欲・情欲を離れるよりも、人を愛し愛される努力、傷つくことを恐れない努力も良いのではないでしょうか。

逃げようと逃げようとするとより煩悩の炎は大きく燃えさかって感じるもの。自分の煩悩の身を深く認めるならば、その煩悩の身が活かされていく道があるはずです。

仏陀は異性を離れることを主たる目的として仏道を歩んだわけではないでしょう。自分が老い、病み、死ぬ身であることが大問題となったのです。彼女が出来ようが出来まいが私たちはいつか必ず死にます。その自覚こそが出発点です。別に仏道を歩むきっかけはなんであっても構わないとは思いますが、「あれ?ちょっと違うかも?」と立ち止まってみることも大切ですよ。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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