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最愛の母を死なせました

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膵臓癌を患っていた母が、1年9ヶ月の闘病の末、今月11日に67歳で亡くなりました。

前日10日には私も母の通院に付き添い、主治医からは「腫瘍マーカーが少し上がってきたものの、まだまだ化学療法の余地がある」と言われた矢先のことでした。

母の状態は常に気になっていたので、仕事の昼休憩時間には、毎日家に一時帰宅し、母の様子を見ていまして、母が亡くなった11日の昼にも帰宅し、いびきをかいて寝ている母に声をかけましたが、眉をひそめる程度の反応があるだけで、起きようとはしませんでした。

そして、私はその反応を、前日の通院による疲れで熟睡しているものと安易に考え、職場に戻ってしまったのです。

仕事を終え、18時に帰宅した際には、母は既に息を引き取り、死後硬直が始まっていました。

実は母は糖尿病も患っていまして、昼にいびきをかいて熟睡していたのは、今思えば低血糖による昏睡だったのです。そして、私が放置したことで、そのまま心停止に至ったのです。

昼に母の様子を確認した際に、異変に気付き救急搬送をしていれば、恐らく母は今もまだ存命であった可能性が高いのに。
私はよりにもよって、自身の不注意で誰よりも大事な、最愛の母を死なせてしまいました。それも、誰にも看取られることもなく。
逝く時の母は、どのような気持ちだったのか。苦しみながら、私の名前を連呼しながら逝ったのではないのか。
今となっては知ることはできませんが、母を淋しく逝かせてしまった自分を、どうしても許すことができません。

亡くなる数日前には、母は「淋しい、ずっと一緒にいたい」と言っていました。
私も同じ気持ちです。今すぐ母の元に駆けつけたい。
どのようにして亡くなったのか、母の口から聞きたい、そして謝りたい。現世で母を守れなかった分、あの世で現世以上に母を支えたい。償いたい。

仏間に安置している母のお骨に、こう語りかければ、母は迎えに来てくれるでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

私たちのいのちを願う、阿弥陀仏が離れずおそばにいてくださる。

そうだったのですね。。。
まさか、あの日。
あなたの優しさだった。疲れているのだろうと。

先のことが予測できれば、誰だって防げたり助けてあげられるのにね。

毎日毎日、気にかけていたのに。
私のせいだ。私が死なせてしまった。
ごめんなさいと、あなたは、ずっと後悔と謝り続けているのですね。

生きていてほしかった。
離れたくない。
会いたい。
そばに行きたいのですね。

お母さまは、寂しかった。
それだけ、あなたを想っておられたのですね。あなたを愛おしく、また幸せも感じておられたのではないでしょうか。
だから、寂しいと弱音も言えたのだと思います。
ありがとうねって、あなたのおかげだよと。
そんな気持ちでいらっしゃったのではないかしら。

私たちは、看取りも出来なった、一人で寂しく逝ってしまったのではないかと考えてしまうものですが。
そこには、私たちのいのちを願う、阿弥陀仏が離れずおそばにいてくださり、大丈夫 心配いらないとその瞬間を抱きとめ お救いくださる。
そして、待っていてね、また会おうねと、必ずまた会える世界を用意くださっています。

だから、私もこうして手を合わせるたびに、大切な人の声を聞きながら、今を踏ん張っていられます。お念仏申すたびに、そばに感じています。

あなたが、お母さまを想う気持ち。
お浄土の阿弥陀さまが、お母さまに届けてくださっているでしょう。お母さまは、また会える日を、ずっと待っていてくださることでしょう。安心を与えてくださるのが、阿弥陀さまです。 
それでも、寂しい時は、お念仏しましょう。
私も、あなたのお話を聞かせてもらいます。
辛かったら、一緒に涙を流す日があってもいいじゃない。
大切な人を想い生きるって、苦しいこともありますが、だから、虚しい終わりにはさせないと阿弥陀さまがいてくださいます。

辛い日は、何度もここで話しましょう。
お母さまの話を、聞かせてください。
私も、お母さまを想って。
手を合わせます。

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おきもち

はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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質問者からのお礼

中田様

暖かなお言葉、お導き、誠にありがとうございます。

仰るように、母との間には確かな親子愛があったと思います。それだけに、母がいくら淋しいと言ったとしても、私が母と一緒に逝くことなど、母が望んでもいないことは、本当はよく分かっているのです。

ですが、私の無分別で母を死なせてしまったのですから、直ぐにでも母に会いたい、会って声が聞きたい、母を死なせたことを謝りたい。これが自分勝手な願望に過ぎないということもよく分かっています。

何十年か先、向こうで母と再会するときを待ち焦がれ、これからを生きることはとても辛いです。

母の声を聞くことは難しいかもしれませんが、せめて私の想いだけでも母に伝えられるよう、言い方はよくないですが、阿弥陀様にすがらせていただきたいと思います。

お言葉ありがとうございました。

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