希望なく生きることが辛いです
私は特別恵まれてない方に比べればまだマシですが、それでも人生に辛いことが続いています。
・小学4年、両親の離婚
・高校時代、離婚した母親の自己破産騒動で父の貯金がなくなる
・同時代、父のネグレクトに合う
・大学1年、父が脳梗塞で倒れ退学しかける
→なんとか回避したものの、奨学金等600万程の借金ができる
・29歳夏、父が脳出血で要介護状態に
→実家ローン、父が隠してたサラ金、介護代を負担することに
・29歳冬、勤めていた会社がコロナショックで業績不振、給料が半減になり生計が成り立つ退職
・現在、何とか転職した会社は生計はギリギリ、安月給で激務、上司は短気でパワハラ有
趣味も特になく、住む場所も点々として友人もおらず、まともに彼女ができたこともないです。
頭脳も凡庸、際立った才能もなく、このまま独りで、
ただ借金返済と親の介護のために生きるのか、
終わった頃には老病死が待つのみ。
別に死ぬ気はないですし、その勇気もないです。
でもなんの希望も喜びもなく生きていくことがただ憂鬱で反吐が出ます。
性質的にHSP気味で、人は嫌いじゃないですがストレスを感じる相手、嫌いな人が多いです。
そして心から信用、信頼できる人はいません、みんな自分のことで精一杯です。
あと思想的にそのうち良いことあるみたいな考えに賛同できません。
良い進学先や優良企業に勤めること、上を目指すこと、彼女づくり、友人づくり、趣味づくり、30歳になるまでにやれるだけのことはやりました。
そして何も成果は上がらず、対峙したのはうだつの上がらない自分のみでした。
だから悔いはないのだけど、もう一切の希望は持てません。全て無駄という境地に至りました。
仏教的、宗教的論法はあまり期待してなく、生死に向き合う1人の人間としての、僧侶の皆さまのご意見を伺いたいです。
こんな自分に希望を持つ方法や考え方はあるでしょうか。
日常に喜び、楽しみ、幸福感を得る術はあるでしょうか。
多くの方の意見を聴きたいです、
なにとぞよろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
まず自分を見つめ直すところから
こんにちは。
「仏教的、宗教的論法はあまり期待してなく」という回答の方法論を既に限定しているとともに、自分の結論ありきから質問をしています。
ここはお坊さんが回答するサイトです。
そのサイトで、「仏教的、宗教的論法」を尋ねる側が制限しています。僧侶の側が言うならまだしも尋ねる側が制約している、とても不自然な印象です。
尋ねる側が状況説明や悩んでいる内容を説明したとしても、回答の内容は一任すべきです。それが回答を乞う側の態度です。
自分の心や考え方から外に可能性を考えてもらうために回答しているのです。自分の殻の中だけで問いつつ完結しようとしている人に回答しても響くとは思えません。
また、質問する側の姿勢として問題なのは「仏教的、宗教的論法」を大切にする人に対する敬意と尊重の姿勢です。敬意と尊重を持ってる人は、相手を肯定的に捉えようとするところから始めます。まず、相手の大切にしているものを否定的な見方から入っているあなたに、その基本的な態度を感じません。
私は坊さんだから敬意を払いなさいと言ってるのでありません。それこそ一人の人間に対して、という意味です。
「30歳になるまでにやれるだけのことはやりました」「悔いはない」「もう一切の希望は持てません。全て無駄という境地に至りました」という自己完結をしている。
「悔いはない」、「境地に至りました」のに何であなたは問うのでしょう。悔いがあるし、境地に至ってもいないからではないですか。「全て無駄」「一切の希望は持てません」とは、先に述べたような結論ありきの一例ではないですか。
まず問う自分の姿勢、結論ありきの姿勢、ここをまず見直すことを経てから、改めて質問するべきだと思います。