お坊さんに聞きたいです
読んでいただきありがとうございます。
先日とある配達業者さんの運転マナーが悪いと言うことが立て続けにありました。
今までも何度もそのようなことがあり、ついにクレームを言ってしまいました。次からは気をつけてくださいと最後に言いました。
ですが私自身クレームを言った後、自分は嫌な人間なのではないかと罪悪感を感じてしまいました。配達業者さんは忙しいと思います。私は看護師をしていますが、私自身仕事中忙しいと患者さんと接する際に対応を疎かにしてしまうこともあります。
私も配達業者さんのように相手に不快な思いをさせてしまっているかもしれないのに、言っていい立場なのかと。
そこで、質問です。因果応報という言葉があるように、やったことは帰ってくるとよく言いますが、そう言った考えだと、やはりクレームを言わない方が良かったのでしょうか。
そもそもクレームを言った時は不快な感情に任せて勢いで言ってしまった自分がいます。クレームを言わなくてもいいように穏やかな人間になるためにはどのような心がけが必要なのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
正当な指摘と言い方
こんにちは。
「クレーム」を言ったことについて様々にお考えなのですね。
その「配達業者」さんが、「運転マナーが悪い」とはどのようなことなのか、その内容程度がわかりませんが、「何度もそのようなこと」があった末のことなので、それは言っても仕方のなかったことではないでしょうか。
「クレーム」というと、難癖をつけるような語感が一部含まれていますが、正当なものであればそれは当然の指摘です。相手の改善を促すものでもありますから、相手のためにもなると思います。ただ何事もそうですが、言い方にもよります。激昂していったか、やんわりとこうした方がいいよと言うかでは相手の受け取りも違います。
この意味では、「クレームを言わない方が良かった」のではなく、正当な指摘であるならば言っても良かったのだと思います。ただ、「配達業者さんは忙しい」と相手の立場をきちんと考えられるあなたなのですから、「不快な感情に任せて勢いで言ってしまった」言い方を省みて、言い方だけを工夫しようでいいと思います。
「クレームを言わな」いことは、「穏やかな人間」とも受け取れる一方、見て見ぬ振りをする人にもなりかねません。あまりに互いに関わらなすぎるのも問題です。無理のない範囲で、あなたなりの正当な指摘を今後もされたら良いと思います。
良いところを見つけてほめよう
こんにちは。
昨晩、妻が「気に入った靴下ほど、すぐに穴があいてしまうんだよねぇ」と言っていました。
気に入った靴下に穴があくのは、気に入った靴下をいつもはいている(使用頻度が高い)から、他の靴下より穴がすぐにあいてしまうのだと思います。
「因果」というのはこういう事です。靴下の穴は、何かのバチで開くわけではなく、何度もはいたという原因があって、穴があいたという結果が生じたのです。
あなたがどこかにクレームを入れることと、あなたが誰かからクレームを言われる事は何の因果関係もありません。目に余る危険行為ならば、きちんと注意をして是正された方が、世の中のためになります。
一方で、クレームを言われた人が、腹いせにどこかにクレームをいれ、それを言われた人がまたどこかにクレームを入れ・・・・・という事が起こって、まわりまわって最終的にあなたの所にクレームが来る、という事もあり得ます。
あなたはクレームを言ってスッキリしなかった上に、なんだかモヤモヤが残ってしまいましたね。悪い言葉は、言われた側ばかりでなく、言った側も良い気分にならないものです。
ですのでね、これからは、人をほめることをすると良いと思います。配達業者さんなら、対応の仕方とか、(荒い運転もあったけど)この運転は良かったとか、良いところを見つけて、それを電話や手紙などで、よかったですとほめるのです。ほめられるとうれしいものです。もっと頑張ります。人から見られていると思えば運転も慎重になるかもしれません。あなたも良い言葉を言えば良い気持ちになるでしょう。またさっきのクレームの例と同じ事が起これば、まわりまわって、あなたの所におほめの言葉が来るかもしれません。
質問者からのお礼
たくさんのお言葉ありがとうございます。
言うべきことは言うことも大切で、かつその際には言い方も大切であること、改めて実感しました。
私はあまり注意をすることが苦手ですが、それも言い方しだいなのだと、世の中や相手のためを思うことなら言うべきことは言うべきと思いました。
心が軽い気持ちになりました。
自分のペースで誉める言葉をたくさん言えたらいいなと思いました。
ありがとうございました。