生きる価値生きる意味について
最近 生きる価値について ある和尚様(ハスノハではない)に質問しましたが回答は得られませんでした。
私は介護士として長く働いています。目の前の認知症さん 寝たきりさんなどとの関わり、 自分や母親の老化などもあり 漠然と なぜ生きなきゃならないのか、という疑問が強くなりました。
正直生きる意味生きる価値がよくわかりません。
わからないままでいいのだとも思いますが。和尚様方のお考えを教えていただけたらと思います
よろしくお願い致します🌸
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
悟りへと向かうために仏様から頂いた命。
こんにちは。亀山純史と申します。
「なぜ生きなければいけないのか。」という問いの裏には、「社会に役立つことが出来ない人は、生きていても意味がないのではないか。」「そのような人は、社会に役立つことが出来ていない、社会のお荷物である。」という意識があるように感じます。実際に、そのような意識を持たれて、このハスノハにご相談してくる方もおられます。
私は、このような見方は、人の命は人間社会を構築していく上での歯車にすぎない、という見方へと繋がるものだと思っています。つまり、社会に役立つか役立たないか、という基準で命を見ている、ということです。そして、そのような見方は差別意識を生むものだと思います。生まれながらにして、障がいを持って生まれて来られた命は、社会に役立つか役立たないか、という基準に照らすことは妥当だと思いますか。
人の命は、(仏教的に言うならば)仏様から頂いたものです。そこには、何かに役立つとか役立たないとかという基準は存在しないのです。なぜ、私たちの命は仏様から頂いたものであるかと言えば、私たちの命は悟りへと向かうために、この世に生を受けた命だからです。したがって、私なりの回答を言えば、私たちが生きている意味は、悟りへと向かうためであり、生きている価値は、仏様からの慈悲が私の命にはたらきかけている、ということです。
以上が私からの回答です。これからも介護福祉士として、お年寄りに寄り添ってください。
全ては移ろいゆくものですから
拝読させて頂きました。
そうですね、生きる意味や価値とは何でしょうね。
人の年齢によっても変わってくるでしょうし人それぞれに違ってくるでしょうね。
おそらくあなたも今と10年前或いは20年前或いは30年前とでは生きる意味や目標も違っていたのではないでしょうか?
その時その時でも考え方や価値観や生活感も違っているでしょうし周りの家族との関係性や構成も違いますから自ずと生きることは変わってきていいのかと思います。
私達は一人で生まれてきたわけではありません、親がいて先祖がいて家族がいていろんな方との関わりの中で生きていますし、自然や世界との関わりの中で生きています。
そしてその様な環境や社会や人々との中で「自分って何なんだろうか?自分の生きる意味や目的や希望って何なんだろうか?」と問い続けて生きているのかもしれません。その問いの答えは刹那刹那で常に変わっていっていいのかとも思います。
本当に自分にとって価値あるもの・大切なもの、かけがえのないものってなかなか実感として感じることも普段の日常生活では難しいですしわからんもんですからね。
失ってみて初めてその大切さを実感できるものばかりです。
脱線してしまいましたが、
あなたの10年後或いは20年後或いは30年後は生きる意味や目標も違ってくるでしょう。又これからの未来の中で考え方や価値観や生活感も又変わってくるでしょうし周りの家族や周りの方々との関わり合いも変わってくるでしょうから自ずと生きることの意味や目的は変わってきていいのかと思います。
あなたがこれからもかけがえのない皆さんと一緒に仲良く心豊かに充実した毎日を幸せに生き抜いていかれます様心より祈っております。
質問者からのお礼
Kousyo Kuuyo Azuma様
ご回答ありがとうございました🌸たしかに 10年20年前と今の自分 生きる意味も価値観も全く違ってきています。
10年後20年後も 然り。今の自分がどう生きるのか ヒントを与えていただいたような気がします。
ありがとうございました🙏🏻
亀山様
ありがとうございました