カラッポな自分をどうにかしたい
趣味で小説を書いているものです。
最初は頭の中に浮かんだものをアウトプットして、誰かに読んでもらうだけで
満足でした。勿論、どこかで読んだ、誰かの模倣です。それでも自分の頭の中にしかなかったものを表現できることや、「面白かった」と共感をもらえることは喜びでした。もっと上手くなりたいと、願ってしまいました。
色んな作品を作り手側にまわって見るようになると、世に評価されているものが「その人(作者)の人生において強く言いたいこと」が肝なのだと気が付きました。
創作というフィクションや虚構の中、その人の本音や魂の叫びは紛れもない真実で、きっと輝くのだと思います。私もそういうものを作りたいと思いました。
しかし、いざ作ろうと思っても、自分には「言いたいこと」がないことに気が付きました。政治的な主張も、他人を叱咤激励したい気持ちも、他人にやっかむ気持ちも、強ければ強い程「言いたいこと」として輝く世界で、私は何も持っていない。中身がからっぽだと気がつきました。ただの、穏やかな一匹の動物でした。思想がないのです。だからこそどうしようもなく、致命的な、自分の頭打ちの原因だと気がついたのです。
からっぽで、強い思想をもっていない人間が、何を生み出せると思いますか。
どうしたら強く他人と共感できるようなものを生み出せると思いますか。
なにかきっかけが欲しくて、相談させていただきます。
どうぞよろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
空っぽだけれど、そんな私でもいいじゃないってことを言葉に。
そのままを言葉にすればいいのではないですか?
空っぽだけれど、そんな私でもいいじゃないってことを。
書く人が皆 強いメッセージを発信したいわけでもないと思いますよ。あなたが見てきた日常のあれこれや、ファンタジーでもいいと思います。その世界(内容)が、ホッとするものを、あなただから書けるのではないかしら。
空っぽなら、たくさんのものを取り込んでいけるのだもの。
あなたのような人もたくさんいると思うわ。
そんな人たちが、私だけじゃなかった〜って思えるようなものを。
そしたら、私も読みたいわ(﹡´◡`﹡ )
質問者からのお礼
ご返信ありがとうございます。
頂いたお言葉を飲み下すのに数日を要してしまいました。
「他人にやっかむ気持ちもない」と書いた割に、自分が「他人と比較して」無い物ねだりをしていることに、お言葉を頂いた後に気が付きました。相談してよかったと、心から思います。ありがとうございます。「自己肯定感」という言葉にずっとピンと来ていなかったのですが、無い物ねだりをやめることなのかも……と腑に落ちました。
そうですよね、生と死の間で叫んだり、宇宙を救ったり、世界の運命を少年少女に託したり、哲学冒険するだけが創作じゃないですね。日々の生活のちょっとした出来事……ふっと寄ったラーメン屋のチャーシューが美味しかったこととか、ご近所のささいなすれ違いでヤキモキした気持ちとか、日常のちょっとした嬉しい気持ちとか、「主張が大きい人が、書いてられない些末な事」にだって、十分ドラマがあるものでした……。
カラッポな主人公が、周りの強烈な個性と比べ自己に悩みながら、それでも自己を肯定していく……それこそ私が読みたい自己救済ファンタジーかもしれないです。
自分自身の無い物ねだりの気持ちを折り合いを付けて、カラッポの中に等身大の実感を詰め込んで、嘘ではない言葉で、いつか書いてみたいテーマだと思います。
ありがとうございました。